戦争前、突然、憲兵が訪れて有無を言わさず連行され、拷問にかけられたという話は多くありました。その話を聞くと戦後の日本は自由でいいなと思っていましたが、2011年の原発が起こってから、現代の憲兵は、マスコミや一般の人からのバッシングだなと感じます。

 

憲兵とバッシングが似ているところは「非難される理由が不明」ということです。私のところに来るバッシングは、ほとんどが「バカ! 人の心が判っていない! 金儲けでやっているんだろう!」というもので、なにが問題なのかが判るメールはほとんどありません。

 

また一関市長と私の件でも、多くの新聞やニュースにでましたが、私に取材があったのは3社だけでした。新聞などはすべて「憶測」で報道をしたようです。個人は力が弱いからということなのでしょうか?

 

もしかすると現代のバッシングは憲兵よりひどいかも知れません。たとえばメールでは発信者が不明なのです。名前も住所もなにも判らない人からある時、突然、罵倒の嵐が来るのですから、社会ルールも礼儀も何もないという感じがします。

 

私は強い信念がありますし、科学的に妥当なことしか発信していませんから、メールは参考にさせていただいていますが、信念や行動はビクともしません。しかし、社会には弱い人や、こころ優しい人もおられます。だから、ひどい言葉でやられるとおびえるのではないかと心配です。

 

その意味では「憲兵的ネット社会」は、ネットという新しい情報手段が化け物のようになって私たちの社会を襲う可能性すらあるように思います。

 

それに、「原発を守る」とか、「国の政策に従う」いう考え方には国や権力が見方についていますから、メールの中には「権力を使うぞ」という脅しまがいのものもあります。戦争で負けた日本は二度と再び、そんな暗い社会で暮らさないと決意したのですが、60年しか続かなかったようです。

 

常に紳士的に、一人の市民として、相手に失礼の無いように、しっかりと自分の考えを述べるということが必要です。匿名は良いと思いますが、文章は日本人としての礼節を守ることが日本の文化を続けるためにも必要と思います。

 

またある時に東大の教授が私を批判して「私は武田の本を読んでいないが、読まなくても判る。ケシカラン!」という本の批評をされたときには思わず吹き出してしまいましたが、それに似たことが最近、続いています。「武田の本もブログも読んだことはないが、ケシカラン!」と言われるので、なんとご返事をしてよいか迷ってしまいます。

 

問答無用で切り捨てる、理由も言わずに逮捕されるという社会で大きな犠牲を出し、やっと明るい生活ができるようになったのに、マスコミや国民がそれを壊しにかかっていることが残念です。

 

(平成23922日)