研究者として若く、夢の固まりだった私。物理学を勉強した当時の私はこの世のことは何でも判っているように思っていました。そして科学はその知識を使って「創造的なこと」ができると錯覚していたのです。
40歳ぐらいになった時でしょうか。私の恩師の増子昇先生が「学問は本来、整理の学、解析の学なんですよね」と言われました。ヘーゲルの「ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛翔する」という文章を覚えたのもその頃だったと思います。それとほとんど同じ内容の文章をある読者の方から送っていただきました。
「いずれにしても、自然現象に関する研究は起こってしまってから解説するのが精一杯で、因果関係を解明できるほど発達していない。生物学と同様、わからない方がよほど多いのである。自然現象は常に連鎖反応を起こしながら進行するので、予測不能なことが多い。これから一体何がおこるのか、正確にわかっている人は誰もいないだろう。」(小林真「菌と世界の森林再生」)
まさに学者が心の底から感じていることを正面から書いておられます。恩師の「整理の学」、「解析の学」と同じで、ヘーゲルの言葉通りでもあります。学問は未来に対して無力です。せいぜい「過去のことを必死になって説明する」ことができるだけです。それが人間の頭脳の限界なのでしょう。
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ところでそんな学問から見て、地球温暖化はどのように見えるでしょうか? 私はなぜ「CO2は出した方がよい」と言っているのでしょうか?少し解説をさせていただきます。
地球温暖化は予防原則の問題です。科学的には不確かだけれど、重大で致命的な結果が予想される時には科学の結果を待たずに規制するということです。地球温暖化にこの原則を適応するのが適当かどうかは次の判断によります。
1) 気温が変化することが重大で致命的か?
2) どのぐらいの温度範囲は重大で致命的か?
3) 気温は下がる方が致命的か、上がる方が致命的か?
4) 地球の気温は人間の活動で左右されるか?
第一の設問に対しては「変化の幅が問題」と言うのが正解でしょう。そしてその幅(第二設問)は2,3℃ならそれほど大きな影響はありませんが、10℃となると間氷期と氷期の差ですから、これは問題ということでこれも学者の間で一致すると思います。
問題は第三設問で、意見が分かれます。1970年代までの多くの学者と私の考えは、現在の地球が地質学的には氷河時代の間氷期であることと、新生代(恐竜が滅んで以来)に入って気温が低下し続けていることから、寒冷化が致命的と考えています。今より気温が下がると日本などは一部が氷河に覆われ、作物が採れなくなり大量の餓死者がでると思われるからです。
温暖化が怖いという人の意見はかなり広く伝わっていますから、ここでは割愛します。
また、気温は、1)太陽活動、2)都市化、3)CO2 で決まりますが、現在はそれぞれ3分の1ぐらいでしょう。太陽活動は500年ほど前の「小氷河期」から徐々に活発になって来ていますが、今後50年程度で下降に向かうでしょう。CO2は人間が出せば増え、控えれば増大の幅は減少すると考えられます。
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以上のことを考えて「学問は未来が判らない」ということと、「予防原則」を適応すると、問題なのは現在より気温が上がった方が危険か、下がった方が危険かというところにもっとも大きな別れ道があると思います。私は「世界の多くの学者は冬の前にいる」と考えていると思っています。それはこれまでの気温変化とCO2の変化からあまり考えずに推定するとそうなるからです。だから寒冷化に備えて今は温暖化するべき時期という結論になります。
仮に温暖化しても、今より気温が高かった時期が多いのですから、地球がどうなるということはありませんが、寒冷化するとアフリカの一部を除いて氷河になることは判っているので、そちらの方が危険です。
今回の被曝では、1年100ミリ以下は不明なのですから、被曝量を減らして(1年1ミリを貫く)、学問の不備を補わないといけないと思っています。1年1ミリを守るのは、「除染、疎開」で可能だからです。
(平成23年9月19日)