鉢呂前経産大臣が記者会見とオフレコの場で新聞記者に不適切な発言があったとして辞任した。確かに大臣としては不適切な発言といえないわけでもないが、問題となった「死の町」という表現は地元の人が「ゴーストタウン」と言ったことを私も聞いていて、それを日本語で言っただけという感じもする。

 

良い言葉でなかったかも知れないが、その発言によって国民が直接的に被害を受けたというものではなく、この時期にもう少し言葉を選べばという注意を促す程度の失言だったように思う。特に大臣が「死の町」と表現することによって、できるだけ早く改善したいと思っていればむしろ被災者にとっては良いことかも知れない。

 

それに比べると、鉢呂さんの代わりに経産大臣になった枝野さんは官房長官時代、記者会見などで繰り返し「(被曝しても)直ちに健康に影響はない」と繰り返したし、保安院が「基準値の3355倍でも直ちに健康に影響はない」と繰り返したことにも注意をしなかった。メルトダウンの件でも誠実ではなかった。

 

当時の内閣の説明の方は、ずいぶん多くの被害者を出した。政府が安全だというので、そのまま飼料をやって汚染された牛肉ができたり、野菜もそのまま放置して栽培したのでこれもかなり汚染された野菜が発生した。原発に近い地域の人たちに健康被害がでる可能性が高く、少なくとも法律や国際勧告に大きく違反した。

 

鉢呂さんと枝野さんの人事、それに対するマスコミ報道の態度を見ると、鉢呂さんの発言の原因を作った人が新任大臣になるのだから、日本社会が普通にものごとを考えることすらできなくなったように見える。

 

また、これは小さいことだが「放射能をつける」という発言があったとされるオフレコの場面では、もともと大臣が言った内容すらハッキリしない。発言の場所から遠くにいた記者は聞こえなかったのではないかとも言われている。

 

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小さな食品会社が実質的には害を及ぼさない程度のヘマをしてもマスコミ報道は徹底的に叩き、時にはつぶれてしまったり、一人の人生をダメにしてしまう。それに比べて、原発事故ではマスコミ報道が極端に東電に甘い。

 

「なにが不適切か?」という判断でも、「弱い者の発言は不適切」、「広告などでお金を貰ったら不適切でも問題にしない」というのでは、存在価値そのものがないのではないか。残念なことだが、もし日本がこれまでの文化「誠実、清貧、正直、判官贔屓」などを捨てざるを得ないとしたら、ギスギスした「契約社会」に屈服しなければならないだろう。

 

(平成23917日)