若い頃、最初の特許をとるときに特許権というのを勉強し、たしか19世紀と記憶していますが、イギリスで特許権がどのような思想のもとでできたかを知りました。また50歳頃、本を出すようになって今度は著作権を勉強し、法令の解説本や最高裁の判例などを勉強しました。
そんな私にとっては、今の日本で言われているように「特許権」や「著作権」などのいわゆる「知的所有権」は絶対的ではなく、発明した人や作品を残した人が「一時的に、生活を守るために」社会から特定の権利を貰うように理解しています。
また、当然のことですが、特許権も著作権も「その人の創造物」ですから、単にたとえば実験した結果を整理したものやこの世にある風景を映像化したものではダメで、「その人でなければ創造できないもの」を保護するという意味です。
たとえば特許では「思いがけなく」とか「予想外に」ということが必要ですし、本の著作権では、著者の頭の中の創造物だけが尊重され、単に事実を整理したものには著作権はないと解釈されているようです。わたしの分野では実験データを単にグラフにした(たとえば既存のグラフのソフトを使って作った)というものは著作権がなく、その論文の中に書かれている考察などで創造性のある箇所だけに著作権が及ぶと解釈されます。
その点では裁判の判決や理論的な考察より、社会的に認識されている知的所有権の方が過度に権利を強くしているように思います。たとえば芸術性が問題の場合、鮮明ではないコピーに著作権があるかは疑問で、判決を見ますと著作権は否定されているようです。
また、私自身の著作について、著作内容の99%は「これまでに自分が習った物」であり、私の「創造」と思われる部分は「1%もあれば良い方」と感じられるので、あまり著作権を主張しません。
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ところで今回はこのような一般的な知的財産権ではなく、福島原発事故のように「人の健康や命の関係する情報」に関しても著作権が適応されるのかということです。私が今まで勉強した範囲では知的財産権というのは社会の中でそれが有効に使用される場合、その代償として与えられるものですので、速報性のあるものや、公共性の高いものにあまり過度に知的財産権を主張すると「知る権利」との関係が問題になるでしょう。
たとえば、マスコミが「記者クラブ」という閉鎖的な社会を作りそこで得た情報について知的財産権を主張して多くの人が政府の重要な発信を知り得ないとしたら、それは知的財産権の乱用になる可能性もあります。さらにそれが「一刻も早く多くの人が知らなければならない健康や命に関する情報」の場合、独占が許されるのかについても議論が必要です。いろいろ考えることがあります。
今回、私は健康や命に関係することで、芸術性は問題にならないものについては速報性という点で作成した方にご了解を得ていないものもあります。また最初の発信もとが「国や自治体」のような場合、それを納税者が使用する場合、知的財産としての制限はつかないと解釈しています。
総じて、知的財産権の問題は、権利の所有者の方だけが声が大きく、それを利用する側の権利をあまり考慮していないようにおもいます。日本のテレビで放映されたものがネットに出た場合、すでに放映されているので、特殊な使い方をしなければネット上の映像に制限を設けない方が良いと思いますし、特にNHKのように視聴率をとっているところは営利を求めている訳でもないので、ネットの動画を消すという日本独自の制限は早めに止めるべきと思っています。
(平成23年9月15日)