かつて、戦争で焼け野原になった東京の地に復員した兵士が、その光景に立ちすくんだという話をよく聞いたものです。日本人は戦争で本当にひどい目に遭ったのですが、その後、奇跡と言われるほどの気力で立ち上がりました。

 

戦後の日本は朝鮮動乱を経て回復し、思想的には左右の厳しい対立はあったものの、高度成長を遂げてJapan as No.1と言われるまでになったのです。

 

その間、地震で言えば東日本大震災、阪神淡路大震災があり、伊勢湾台風、諫早豪雨などの自然災害の他、下山事件、浅間山荘事件、日航機墜落事故、ロッキード事件、バブル崩壊などの政治・経済・社会の事故事件もありました。それでも、福島第一原発、その中でも3号機の爆発ほど後の社会に巨大な影響を及ぼすと思うものは無いでしょう。

 

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整然と並んでいる原子力発電所。すでにその時には1号機が爆発、さらには2号機の内部も破壊していたのですが、それでもプルトニウムを含む燃料を使っていた3号機の爆発はすさまじいものがありました。一瞬、建物の右(南側)に閃光が走り、轟音とともに爆発、その噴煙は300メートルほどに達しました。

 

2006年の新耐震指針の審議の時に、「予想外の時には原子力発電所が破壊し、大量の放射線が漏れ、付近住民が被曝するということを想定して置かなければならない」という審議の前提に驚き、原子力発電を続けることに批判することにした私は、この爆発をネットで見て呆然とし、日本の原子力開発に携わったことに強く反省をしたのです。

 

科学者・技術者は実験事実や観測事実に忠実でなければならず、この爆発を見て、それまで「原発は安全」と社会に言ってきたことに深い自責の念を持たないとしたら、それは科学者でも技術者でもないでしょう。その意味で、今でも「活動を続ける原子力の関係者」が存在すること自体、私には理解できないのです。

 

しかし、その原因の一つが「この映像がテレビでも新聞でも繰り返し放映されない」ということにあると思います。ここ10年、アメリカで起きたニューヨークの貿易センタービルの爆破事件(いわゆる9.11)の映像は繰り返し流すNHKや各テレビは、この日本の未曾有の災害の映像をほとんど流さないからです。

 

本来であれば、1号機の爆発と3号機の爆発の差、そこからの噴煙(放射線の灰)の移動などの事実関係や、さらに続いた「原子炉が休止していた4号機の爆発」についても微に入り細に入り報道するのが日本のテレビでした。なにか小さな芸能人のスキャンダルはもちろん、食品会社の不祥事でも1週間ぐらいは同じ映像を見せられてきたのです。

 

原発の爆発・・・ほとんどの人が「本当!?」とビックリする事態が起こっても、「3号機でモヤが見えますね」という誤報を出して、この事実は歴史の中に封じ込められようとしています。日本のエネルギーの主力として進めてきた原発、広島原爆で世界で唯一、大規模な被害と被曝を受けた日本人・・・それがこんな結果になったのです。

 

今からでも遅くはないので、私たちはアメリカの9.11よりも、この映像を繰り返し報道し、目に焼き付け、そして日本のエネルギー政策と「社会的ウソと錯覚の発生」について再出発を決意しなければならないでしょう。

 

「takeda_20110914no.133-(6:09).mp3」をダウンロード

 

(平成23914日)