今度の大震災と原発事故は日本に大きな災厄をもたらしましたが、そのすべてが悪いことだけではありません。大震災と原発事故を教訓にして子孫にすばらしい日本を残すことはできます。そして私はその中心は「日本人が大人になるチャンスを与えてくれた」ということだと思うのです。
そこで、第一のテーマにもっとも反論が厳しい「タバコ」の問題を取り上げたいと思います。この問題は感情的になりやすく、意見の対立が厳しく、議論をいやがる門前払いが多いものなので、原発の安全性と似ています。だからあえて「日本再出発」のテーマとして最初に取り上げるのが適当だと思うからです。
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ここでいう「大人」というのは、
1) 義務教育を終え、20歳を過ぎ、仕事をして納税の義務を果たし、自らの判断で国政を含めた選挙に投票する日本人、
2) 自分と他人がそれぞれ独立した人格を持つ国民であり、社会的な手続きをとった法に違反する行為をしない日本人、
3) 自分でよく考えを巡らし、子供のためによりよい日本国土・文化を残し、子供の仕事を作る日本人、
4) (できれば)他人の人格を尊重し、お互いに憲法に認められた自由を認め、他人に過大な損害を与えない日本人、
5) (さらにできれば)日本の伝統的な徳・・・礼儀、恩義、誠実、正直などの徳目をもった日本人、
としたいと思います。
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「タバコが肺がんの原因の一つになる」というのは学問的にもほぼ確実なのですが、ここで議論したいのは「だからといって、タバコを社会的に排斥すべきか」という問題です。
健康を害するものはタバコだけではありません。同じような趣向品な酒もそうですし、砂糖なら糖尿病、塩なら高血圧、脂肪なら肥満などがその典型的なものです。もしこれらのものが「国民の健康を守る」ということのために政府や自治体、会社などが乗り出して「個人の嗜好」の問題に制限を加えるとどうなるでしょう。
また人の行動も同じで、ハンググライダーは死亡率のもっとも多いスポーツと言われていますし、日常的に利用する車の運転も年間5000人も死者を出す危険なものです。しかし、それらの行動も「追放」ということにはなっていません。
酒は20世紀前半にアメリカで禁酒法が施行され大きな社会的混乱を招きました。酒は人間に楽しみを与えるものですが、その反面、暴力、酒乱、ケンカ、酔っぱらい運転、家庭破壊、最後はアル中という立派な病気になるなど多くの社会的な問題をもたらします。
このような場合、社会はある面を制限します。たとえば「19歳以下の飲酒制限」や「酔っぱらい運転を禁止」などです。でも、酒のすべてを追放するのは良くないというのが歴史的教訓です。アメリカで禁酒法が成立するとき、「個人が家で静かに酒を飲むのことをなぜ社会的に禁止しなければならないのか? 他人に迷惑をかけないのに社会に強制力があるのか?」という反論が強力でした。
現代の文明国家(反対は野蛮国家)では、良識のある個人はそれぞれが独立していて、「自由を束縛してはいけない。束縛できるのは社会的にある一定以上の損害を与えるときに限られる」という強い原理原則があり、多くは憲法や法律で保証されています。
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タバコの場合、吸う理由は「個人の楽しみ」、あるいは「個人の精神の整理」、もしくはアイヌ文化では「戦争を避けるための道具」ということが言えます。つまりメリットもあります。
個人が静ずかに自宅で吸うのは同居人の同意があれば禁止することはできません。また、「タバコを吸うのは健康を害するから増税や追放」と同じように、ケーキの中の砂糖の量を限定したり、塩鮭を普通の鮭より税金をかけたり、霜降りの肉を追放したりすることは許されないのです。
だから、ここまでの検討では「政府が健康を害するからといって、タバコの値段を上げたり、自治体がタバコを追放するのは間違いである」ということは明白です。でも、次回にもう少し深く考えてみたいと思います(音声あり)。
(平成23年9月6日)