小説「レ・ミゼラブル」は宗教的な色彩の強い物語だが、そこに描かれた人物像は私たちに深く「社会で指導者となる人の素質」や「職業倫理」を教えてくれる。
市長ジャンバルジャン、そしてそれを追う刑事はいずれも「人格と任務」を厳しく追及する男を描いている。世の指導をする人、それは市長、警察(検察)、教師などであるが、常に清廉潔白、自らを捨てて社会に奉仕する覚悟を持たなければならないのだろう。
ここに一枚の書類がある。さまざまな誤解と経緯はあるが、福島原発の事故が歴史として刻まれるとき、名誉ある文書にはならないと思う(ダブルクリックすると若干よく見えます・・・どうもうまく見えないのでPDFのファイルも貼り付けました)。
この書類の下に書かれている「弁当持参等について」という部分は複数の小学校で削除され、保護者に配布された。
これにはさすがに教育委員会も「公的文書を無断で変えるのは不適切」としている。児童が被曝するより給食を守る方がよいという判断だろう。
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また、文書の下の注釈も食品安全という意味では問題だ。毒物が食品に入った場合、それだけで健康に害になるかを問うてはいけない。規制値は一つの食品でも超えていたら健康に害になるとしなければならない。もし安全だというなら、食べた児童の一人一人の被曝歴などから合計しなければならないからだ。
この文書でもう一つ問題にしなければならないのは「責任の所在」だろう。誰かが間違って児童を被曝させた。被曝量が少ないからといって「それでよい」と言うことにはならない。もし給食の食材に関する統括を教育委員会が行っているなら、「すみません」の一言がいるのではないか?
「takeda_20110904no.122-(4:05).mp3」をダウンロード
(平成23年9月4日。この記事は複数の読者の方のご協力をえて書きました。)