かつて新聞に「温度差」という用語が登場したとき、私は戸惑った。「官邸と党の間に温度差」というような表現が新聞に登場する??

 

「温度差」というからには「温度の差」だから、「官邸の体温が36℃で、党が38℃」というようなことだから、官邸は健康だが、党は熱が高いという意味かと思ったら、「考え方に差がある」とか「認識に差がある」というような意味らしい(よくわからない)。

 

あるベテランの新聞記者から「用語は厳密に使うように.言葉の使い方がすべてだ」と言われたことがある。それにしては雑で科学的にも間違っていると思う。

 

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「地球温暖化」もそうで「気候変動」という英語(climate change)を誰かが「温暖化」と訳した。現在は(renewable energy)、つまり「継続性エネルギー」を、誰かが「再生可能エネルギー」と訳した。そしてそれが国会などで白昼堂々と使われている。

 

科学者はエネルギーが再生できないものであることを知っているので、再生可能エネルギーと言われると魔術(永久機関)のように聞こえる。実は税金を取るための永久機関のような提案で、本当にそうかも知れない。

 

少し説明すると、自然科学で正しく言うと「再生可能なエネルギー」というのはない。エネルギーは使えば無くなる。でも「継続的に使えるエネルギー源」というのは(研究が十分ではないのでやや怪しいが)あり得るので、せいぜい、そこまでだろう。

 

実はnatural energyというのを日本では「自然エネルギー」と訳されて、太陽光、風力、地熱などからのエネルギーを指しているが、何となく違和感がある。「自然エネルギー」というと、私には「食品、生命力、ダイナミックな自然」などを思い出し、風力発電となると(alternative energy、代替エネルギー)の方がしっくり来るような気がする。

 

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このような「自分の主張に都合の良いように訳す:誤訳病」が蔓延したのは1990年以来である。たとえば、IPCC(気候変動に関する政府間パネル、日本では地球温暖化に関する政府間パネルと訳されている)が「温暖化すると南極の氷は増える」と報告しているのに、環境白書では「温暖化すると南極の氷は融ける」と正反対に訳すような悪辣なものも出てくる。

 

「あいまいな日本」と言われるが、それは人情の世界のことであって、科学はあいまいではいけない。特に自分の利権のために「あいまい」という日本文化を悪用するのは感心しない。現代の日本はもともと正義感が求められる役人が率先してあいまい文化を利用しようとしている。

 

(平成2393日)