これからの日本を考えるときにテレビは「大連立」とか、「財政問題」などを報道しています。でも、私にはそれより何より2011年3月の大震災と原発事故では、「善良な指導者の絶滅」がもっとも大きな問題のように思います。
大震災と原発事故から5ヶ月も経っているのに、震災特需の利権争いで法律ができないという悲惨な状態にあります。
社会が繁栄するかどうかは、一にも二にもその社会が「善良な市民」で構成されているかどうかで決まるでしょう。もし、盗人や詐欺師だけの社会は決して繁栄しないのは当然です。
偉い人がなぜ「善良」に見えないのかは疑問で、首相、大臣、高級官僚などの日本の指導者が、福島に除染部隊を派遣しないのに「やれることはすべてやっています」と白昼堂々と言うことを理解することができないのです。
政府、官僚(霞ヶ関)、自治体、学者、専門家、記者・・・などの方々が「善良」ではなくなったのはどうも認めざるを得ないのです。
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それでは市民は「善良」なのでしょうか? 私が「善良な市民」というのは、
1) 額に汗して働き、普通の生活で幸福を感じる、
2) 誠実な社会、誇りある日本の一員として行動する、
という人たちのことです。ひどく簡単なことのように思われますが、エコポイントにしても子供資金にしても、額に汗して働いたお金以外のものを欲しがっているような気もします。
もし、給与や税金の分配が悪いなら、それを正しくするのも善良な市民であると思います。
マスコミや書籍が「善良であること」について、興味を持ち、議論をそこに集中することを期待したいと思います。(音声付き)
(平成23年8月20日)