かつて、真夏の野球の練習ではゼッタイに水をとらずに頑張ることが日本人のスポーツマンの根性を示すものとされた。またテニスでは腰を痛める「ウサギ跳び」に情熱を注ぐことが一流であるかのように言われたこともある。

 

でも、今では合理的に水分をとり、膝や腰に無理のかかる運動も避けるようになっている。それによって選手寿命は長くなり、世界濁して戦うことも可能となった。

 

アメリカと戦った太平洋戦争が、精神力重視の計画、戦略、そして具体的な戦術にあったことは繰り返し主張されている。日本が戦争によって310万人の犠牲と、大きく国力を落とした責任の一端は無謀な非科学的、精神論的なことにあったのはほとんど合意されていると認識していた。

 

ところが、原発事故が起こってから突然、もうこの世から無くなったと思われた精神論が頭をもたげつつある。

 

1) 法律で1年1ミリシーベルトと決まっているが、そんなのは平時のことだ。非常時に国難に協力しないとは!

 

2) 国民は一私企業である東電からでた毒物(放射性物質)による被曝を我慢する必要がある、

 

3) 原発から遠い人も、子供も、放射性物質の入った食物をとって自分も一緒に被曝しなければならない、

 

というのはまさに時代が逆に進んでいるように見える。「被災地を助けよう」というのは「復興の経費を削りたい」という計画だからだ。

 

私は、福島を昔通りの美しい、クリーンなところにするのにお金を惜しんではいけないと考えている。日本の財力のすべてをかけて、3月11日以前の福島に戻さなければならない。

 

まずは除染である。それには多くのお金が必要だが、日本の大地を取り戻すことを願うのは福島の人だけではない。でも日本が今、「国際収支が黒字」を続けているのは、子供が病気になっても治療代をけちり、貯金している親と同じで、本当に情けない。(音声あり)

 

「takeda_20110817no.88-(4:12).mp3」をダウンロード

 

(平成23817日)