偉い人がウソをつく原理を書いているうちに、「原理と手口」が関係していることも書かなければならないと思った。そこで、「原理」ではなく、「手口」もいくつか整理してみたいと思う。

 

原発事故のあと、電力が足りないということで「節電」が呼びかけられている。

 

「電気が足りないから、節電してください」

 

というのも、

 

「夏の真昼のクーラーが問題なので、冷房温度を下げてください」

 

というのは二つとも納得できる。そして、朝日新聞が「家庭での節電」のキャンペーンを始める。

 

さらに加えて、道徳的なこと(節約は美徳)、環境的なこと(地球温暖化を防ぐ)などで補強して、「個人はもっと節約しなければ」という大合唱である

 

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本当にそうだろうか? 隠された問題は二つある。

 

1) 東電の最大生産量は7700万キロワットを超える。それに対して夏場のピーク電力量は5800万キロワットに過ぎない(東電のサボりをカバー)

 

2) 夏の昼の需要は家庭ではなく、オフィスビルの消費電力である(都市計画と建設会社のヘマをカバー)

 

つまり、

 

1) 電力は本当は不足していないのに、東電の放漫経営で不足した電力を隠して、庶民に負担を強いる方向、

 

2) 本当は家庭ではなく、企業なのに「家庭の節電がポイント」というキャンペーンを新聞が打ち、庶民が我慢すること、

 

という内容を持っている。まじめな市民は、まず新聞などで提供されるデータを信用し、それに加えてまじめだから「節約は大切だ」と思ってしまう。

 

「良心的な庶民」の心を巧みについてくるのがダマシのテクニックの一つである。

 

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トリックは次のように行われている。

 

まず、家庭の電気が増えているという印象を与える。

 

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このグラフは1970年代から40年にわたるもので、全体の印象としては家庭の電気消費量がかなり増えていることがわかる。

 

しかし、よくよくみてみると1995年(今から15年前)には伸びは止まり、1世帯あたり1ヶ月300キロワットアワー(1キロワットアワーあたり17円とすると、1ヶ月5100円の電気料金に当たる)でほぼ一定である。

 

だから、15年前から電力会社は対策を打っていなかったのかということをまずは考えなければならない。

 

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一方、季節ごとの電力消費をみると、このグラフのように1985年頃から夏場の電力が増大している。もちろん夏だから暖房はないので、クーラーを使用しだしたということによる。

 

つまり、家庭用の電力消費は1995年頃にはすでに落ち着いて来たが、夏場の電力消費がどんどん上がっていることがわかる。この原因は、次のグラフで明らかになる。

 

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このグラフは夏の一日の電力消費だが、オフィスビルと流通の冷房が夏の昼の電力消費の主原因であることがわかる(もっと詳細なデータもあり、家庭、工場、オフィスなどに分かれたデータが多く公表されている)。

 

つまり、ここではすべてのデータを示すことはできないが、1990年ぐらいから、都市の構造が「高層ビル中心」になり、密閉した建築物、コンクリートで固めた都市作りによって、夏に人間が住めるような空間ではなくなった。

 

その分だけ土地の利用効率があがったのは当然で、都市計画は「電力を使い、効率をあげる」という方向に進んだのである。

 

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念のため、家庭の一日の電力消費をみると、昼間は家にいる人の数が少ないので、電気の消費は大きくなく、夕方から上がってくる。

 

つまり、「夏の昼の電気が足りないので、家庭での節電がポイント」というキャンペーンは全く見当違いなのである。

 

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それでは、なぜ朝日新聞が「家庭の節電がポイント」と言うのだろうか?

 

二つの理由がある。

 

1) 都市作り、オフィス作りの失敗を庶民の節電で補おうとする、

 

2) 朝日新聞のオフィスは巨大で冷房が必要で、それは止めたくないから、

 

ということだ。

 

日本の偉い人というのは「ズルをしても心が痛まない」という特徴がある。頭は良いから、ここで示したような電力消費の状態はよくわかっているが、それがバレると自分たちに火の粉が降りかかってきて、本社ビルが使えなくなるから、防戦に必死なのだ。

 

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最近、NHKも少し良くなってきたが、私が以前、指摘していた「CO2排出のトリック」では、

 

1) NHKは1990年比で80%もCO2を増やしているのに、

 

2) 庶民には6%削減を呼びかけた、

 

ということがあった。これも今回と同じで、自分たちだけは能率的に仕事をして、庶民は我慢させるという思想だった。

 

でも、今回の原発事故がなければ、偉い人が日常的にデータのトリックを使うことに日本社会は気づかなかっただろう。

 

(平成2381日 午前10時 執筆)