文部科学大臣が子供の被曝量を20ミリにしたり、放射性物質で汚れた瓦礫の処理、何万ベクレルの放射性物質を含む汚泥を農地に混ぜるなど、政府は国民の被爆を決める決定をしていますが、はたしてこれは民主主義の国家で許される範囲なのでしょうか?

 

民主党政府はなにか錯覚しているように感じられます。

 

日本は民主国家、近代国家ですから、政府といえども国民の健康を左右することを決定できるかどうか、検討が必要です。

 

これまで、日本政府は「健康日本」に代表されるように、国民が「健康になるため」の施策を実施してきました。「メタボ」などがその典型的なものです。

 

私にはやや強引とも思われる方法で、すこしでも国民が健康になるように、「基本的人権」や「自由」も奪うまでに行きそうなかんじでした。

 

でも、原発事故が起こると、真逆になりました。「被曝量を増やす」というのは、「病気になる方向」ですから、それを国会を通さずに決める「権限」も「権利」はあるのでしょうか?

 

民主党の人たちも政権を初めてとったので、自分たちはお殿様になった気分だと思いますが、政府が「何ミリまで大丈夫」とか「何ベクレルまでOK」などと勝手に決めることができるものではないと考えられます。

 

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それにはまず、なぜ「11ミリ」という数値が決まっているのか、それについて、整理をしてみます。

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すでにこの図は一度、出したのですが、再掲します。

 

この図はICRPが「11ミリ」の意味を説明するために作ったものです。図の一番右、「線量拘束値(線量限度)」とあるところが11ミリで、それ以上は「社会的に耐えられない線量」で、英語ではunacceptableとなっています。

 

そして、左の「最適化の再検討を要しない線量(免除レベル)」より左は「受け入れできる線量」でacceptableです。

 

その間が、「望ましくないが社会的に耐えられる線量」とされています。

 

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自然放射線や医療用の放射線は別ですが、なぜ、私たちは「被爆に耐える」必要があるのでしょうか?

 

誰が余計な放射線を出しているのでしょうか? なぜ、私たちはそんな勝手なことに「耐えなければならない」のでしょうか?

 

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1970年代になると世界の各地で原発が建設され、自然放射線に「人工的に出される放射線」で被爆するようになりました。それまでは自然放射線しかなかったので、特に「規制」などの考えは無いのです。

 

また、医療の分野は医学会などで判断しながらやっていました。

 

ところが原発が増えると、放射性物質で汚染された物質が増える可能性があり、そこで「外国旅行に安心していける。外国の食材を安心して食べることができる。工業製品を自由に流通する」という必要性から、「社会的に耐えられる限度」を決めようということになり、1979年のパリ宣言となったのです。

 

つまり、

 

「原発からの電気の得」=「線量限度による発がんや遺伝異常」

 

となったのです。

 

日本では、

 

線量限度= 11ミリ

 

免除レベル=110マイクロ(違反したら懲役1年)

 

と法律で決まっています。そして11ミリを超える場所は法律で厳しく管理されています。

 

だから、11ミリ以上は、政府(行政)が勝手に数値を変更することはできないと考えられます。

 

もし、1年1ミリが免除レベルなら、「望ましくないが社会的に耐えられる線量」の範囲で行政的な判断が可能かもしれませんが、「社会的に耐えられない」とされているのに、行政が決めることはできないでしょう。

 

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今回の原発事故の原因は、

 

1) 隠蔽体質(ウソつき)や誠実性の欠如

 

2) 電力の地域独占

 

などが主たるものですが、それとともに日本社会が一つ一つのことを冷静に論理的に考えないことも底流にあったと考えています。

 

その点で、今一度、私たちは11ミリの意味と政府の権限範囲について考えてみたいと思います。

 

(平成23717日 午前10時 執筆)