多くの人が一緒に生活をするのだから、「人に迷惑をかける」ということは避けなければならない。
このことは社会道徳として、学校などで十分に教え、一人一人の人が人に迷惑をかけないように行動をしなければならないだろう。
たとえば、
1) 人前でタバコを吸ったり、タバコの煙が他人の顔に吹きかかったりしない、
2) 電車や列車の中で携帯電話をしない、
3) 道を歩くときに3人以上が横になって歩かない(2人まで)、
4) エレベーターや電車に乗るときには降りる人が先、
というようなことだ。
気持ちのよい毎日というのは、このような小さなことも大切で、社会で生活する人の基本のように思う.
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でも、私は「禁止」というのが嫌いなので、できれば「自主的」にできないかと思う。
江戸時代、借金をするときに証文を書く場合もあったが、そこには「もしも返済しないときには、お笑いになっても結構です」というのがあった。
日本人にとって「恥をかく」ということは「死ぬこと」と同じだったので、「笑われる」というのは耐え難いことだった。
私は次のように思う.
「禁煙運動」の代わりに、タバコをお吸いになる人は、ご自分で他人に迷惑をかけないように出来ないものだろうか?
電車の中で携帯電話をするときには、「空いていて」、「小声で話す」というマナーが守られていれば、良いのではないか。心臓のペースメーカーなどと周波数を変えて影響が出ないようにすることも大切と思う.
乗客同士が大きな声で話すのはマナーとして良いが、携帯電話はガラガラの車内で小声で話しても目くじらを立てるというのはちょっと形式的すぎるように思う。
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私が高校生の頃、道を4人で並んで歩いていたら警察官に注意された。その時には反抗的な気分だったが、確かに考えてみると、横に並んで歩くと向こうから来る人に取っては不快だろう.
でも、私の記憶ではこのようなマナーをあまり誰からも教えてもらえなかったような気がする.誰からも教えられないとやはりあまり身につかないものだ。
そして、最近は乗っている方がまだ降りないのにエレベーターに乗ってくる人や、電車に殺到する人もいて、これも不快だ.
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なんとか教育段階で、
「誠実であることの大切さ」
「相手を不快にさせないこと」
という基本を教え、ある程度の具体的な行動を示すようにしたらどうだろうか?
そうすれば「がらがらの列車の中で、自宅に帰る時間をそっと携帯電話で家族に伝えるぐらいは認められる社会」になるのではないだろうか?
福島原発事故を経験してみると、小さい不始末を厳しく糾弾し、大きなことを許すようになってきたように思う.
(平成23年6月30日 午前11時 執筆)