私が原子力研究に身を投じた頃、エネルギーの未来は暗く描かれていました。

でも、恩師の手紙もあり、それからジックリと考えてみますと、「エネルギーが枯渇する」というのは単に石油や石炭の価格を高く保つための商業的なことで、それにのせられた自分を反省したものです。

内容はかなり複雑ですが、40年前から金(ゴールド)の寿命は19年とされており、いつまでたっても同じような「寿命」が続いています。

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私の著述物にも書きましたが、石油や石炭はあと8000年ぐらいあると見積もられ、どんなに短くみても1000年はあるでしょう。

その点から、「人体に対する放射線の影響」、「事故が起こったときの救命ボート」などが明確ではない段階で、原子力を実用化したのは時期尚早だったと反省するようになりました。

この宇宙のエネルギーのほとんどは原子力ですから、やがて人類が原子力を安全に使うことが出来る時代が来るでしょうが、それは「ウソをついてまで」実施することではないと思います。

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もう一つの面から見ると、日本は亜熱帯に近い高温多湿の気候なのに、亜寒帯に近いヨーロッパを真似て都市や家屋を造ってきたことにも問題があるでしょう。

山紫水明、四季折々の日本には、日本としての生活様式があり、アスファルトやコンクリートで固められた都市、風も通らない密閉住宅という作りを見直す機会でもあると思います。

また「働いて普通の生活をする党」を作りたいというブログの読者のメールからも判るように、このところの日本は「少しでも得をしよう」ということで右往左往してきたような気がします。

「資源が無いから節約しよう」というのも中途半端で、「節約」は「資源が豊富かどうか」で決まるのではなく、その人の生き方としての心の問題では無いかとも思います。

基本的には節約、そして額に汗して働いただけで満足する毎日。そして「明日は少し良くなるかも知れない」という希望を感じるような人生を送りたいものです。

そんなことを考えると、1990年以後、私たちが体験した数々のこと・・・

バブルの崩壊、お役所の年金の不正、消費税の増税、

不安定な雇用、就職率の低下、赤字国債の大量発行、

リサイクル騒動、ダイオキシン騒動、地球温暖化騒動、

毎年変わる首相、マスメディアの誤報、リーマンショック、

阪神淡路・新潟・東北の大震災、そして今回の

「福島原発事故」や「太陽電池を強制すること」

など、およそ「働いて普通の生活をする」ということとはかなりの距離があることばかりでした.

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石油や石炭は十分にあるのですから、資源など気にせず、少し節約をしながらゆったりと過ごし、

「日本の山紫水明、四季折々を楽しむ」

「愛する家族、信頼できる友、誠実な社会、誇りの持てる日本」

「働いて普通に生活する党」

「明日は今日より少し良くなるという希望」

を持って明るく、楽しく、静かに、張り切って生活を送りたいものです。

(平成23625日 午前9時 執筆)