先回、「なぜ、子供達は被曝させられるのか?」で、自然放射線に加えて「人工的な被曝」の内、医療や研究などではない、「一般の人の被曝」は「電気が欲しいので、その代わりにガンになる危険性を我慢する」という意味であることを示しました。

だから、国際放射線防護委員会(ICRP)も、

「1年1ミリシーベルトまでは、個別、具体的な利益を示さなくても良い」

としていますし、これを「我慢の限界」と表現しているのです。

つまり、1年1ミリまでの被曝の被害は、「電気を使うことができる」ということと相殺すると考えている訳です.これは世界中のコンセンサスですから、個人個人の思いと少し違うこともあります.

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ところが、もし、「1年1ミリ」を「1年20ミリ」に上げるとすると、

1)   電気を20倍供給するか、電気代を20分の1にする、

2)   その他のメリットを政府か電力会社が提示する、

3)   それによって、ガンが1億人に5000人から10万人に増えることを認める、

というプロセスが必要で、単に「文部科学大臣が宣言したから」だけでは20ミリに上げられないのです.

これを多くの教育委員会、校長先生、自治体などが錯覚したようです.

錯覚の真なる原因は「子供は自分たちの言いなりだ。子供達に人権はない。子供達は我慢させればよい.子供達は自分の所有物だ」という傲慢な心のように私には感じられます。

今の福島で校庭で運動させたり、夏の大会を実施したりするのは、この意味では子供達を犠牲にするものです。

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このことをICRPは、次のように表現しています.

「1年1ミリ(我慢できる限度)までは、個別・具体的利益を提示しなくても良いが、それ以上に上げる場合は、個別・具体的な利益を提示する必要がある。」

当然ですが、国民がそれだけ多くの被害を受けるのですから、それに対する「利益」が必要なのです.

すでに、「国家のために無意味に我慢する」ということを国民は強要されなくなりました。現代ではよほど野蛮な国でなければ、なんのメリットも無いのに我慢させることは出来ないのです。

事故が起こったからと言って、1年1ミリを1年20ミリにしても、電気の供給も電気代も変わらないのですから、何か別の具体的なメリットが要ります.

たとえば、膨大な費用をかけてその土地を除染し、1年後には綺麗な福島を返すとか、福島の食材を政府が全て買い上げるなどがありますが、これも「もともと原発が事故を起こさなければ起こらなかったこと」ですから、メリットになるかどうか怪しいものです。

それでは、除染した後、希望者には新築の自宅とか、自由に電力会社に入社できるとか、未来のことを提供することも考えられます.今、まだ日本で原発が動いているのですから、この議論は大切です.

これは福島ばかりではなく、東京など別の都県でも同じで、自治体の首長や役人が「1年1ミリを越えても大丈夫」と言った場合、その自治体は市民に対して「何らかのメリットに提示」を必要とします。

もちろん、1年1ミリでもガンの危険性があるのですから、それを越える環境が「安全」であるはずはないし、ICRPも「事故前の日本の放射線の専門家」もそんなことは一言も言っていないのです.

東京で1時間に0.1マイクロの測定値が出たところで、国も自治体も「安全です」などと言うのは論外で、さらに、被曝の損害に対して何もしないということは出来ないのです.

国民や市民、子供はあなたたちの所有物ではありません.

(平成23618日 午前10時 執筆)