20世紀の初め、ライト兄弟が人類初めての飛行に成功し、航空機の歴史が始まりました。
最初の頃は、戦闘機に応用されて、普通の人が旅客機にのって旅をすると言うことはほとんどありませんでしたが、それでも少しずつ旅客機が飛ぶようになっていったのです.
多くの旅客機が墜落しました。あるいは天候の予測が不完全だったり、金属疲労によって機体が空中分解したりしたのです。
そのたび毎に、大勢の人が無残な死を遂げ、人々は震え上がったのです.
そんな時、
「人間はもともと地表を歩くものである。従って、人間が空を飛ぶようなものを作ってはいけない」
という原理主義的な意見が社会を覆うものです。
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このような時に「科学技術」を職とするものがどのように考えたら良いかについて、多くの研究がされてきました。まだ、確定した結論が得られている訳ではありませんが、私が「正しいのではないか」と考えていることを整理してみます。
一言で言えば、
「科学技術はその作品をショーウィンドウに飾れば良く、それを勧めても拒否してもいけない」
ということです。
新幹線も、携帯電話も、水洗トイレ、瞬間湯沸かし器、冷蔵庫、原発・・・社会が何を求めているか、科学技術はあまり深く考えず、自分の作品を勧めるのでもなく、拒否するのでもなく、淡々とショーウィンドウに飾ればよいと私は思ってきました。
科学技術に携わるものは、社会の平均的な知識や感情を持っているわけでもなく、時に偏屈でマニアックなところもあります。
また人によっては、自分の研究に強くこだわる人もいて、作品を客観的に見るのではなく「自分か他人か」でその価値を決める人もいるぐらいです.
だから、作品を社会が採用するかどうかは、社会が決めることでしょう。
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かつて、私が原子力施設の所長だった時代ですが、その頃には「原子力反対」の急先鋒は朝日新聞で、良く記者が取材に来て「武田さん、あなたの施設は絶対安全ですか?」と聞かれました。
その時、私は、
「ここには家族も含めて私の関係者が1000人も居るのだから、私は安全だと思ってやっています。でも、この施設が安全かどうか、最後に決めるのは社会です.
その社会が決めることができるように、私は全てのことを言いますから、それを正しく報道してください。私は技術を担当し、あなたは報道を担当しているのですから」
と言いました。
このことは、翌日の新聞にでて「所長は冷静」というタイトルが付いていたように記憶しています.
若い頃の私も「科学技術はその作品をショーウィンドウに飾るだけで良い」と思っていたようです。決して自分の作品を勧めたり、粉飾してはいけないということです。
でも、それの前に、二つの条件があります。
一つ目は、ショーウィンドウに飾るときに、少なくとも科学者自身が「社会に貢献する」と考えている事、第二に「作品に関する全ての情報を表示すること」です。
科学者は自分の作品に愛着がありますから、得てして「自分の作品は素晴らしい」と思いがちですが、それでも、ショーウィンドウに飾る限りはさらに考えて、自信作を飾って欲しいということです。
自分の心に少しでも「危険」とか「非道徳的」と思うものは躊躇すべきでしょう。
今回の原発では「原発は危険だから、もしくは危険と思われているから、立地交付金(お金)で懐柔する」というような手段をとるのは適切ではありません。
そして、第二に科学技術の作品は一般の人がわかりにくいので、その長所・欠点を包み隠さず表示することと思います.
原子力ではこれが「民主・自主・公開」の原則なのです。
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私は「安全な原発推進派」を唱えてきましたが、それは
「原発が安全と考えられたらショーウィンドウに飾り、包み隠さず情報を開示する」
ということです。
だから、今回の福島原発の事故で「原発は不安全である」ということが事実で証明されたので、自分の不明を恥じ、ショーウィンドウから作品を撤去するしかないと思っています.
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このことは商人でも同じと思います.その点で、今度、もしお会いすることができればその真意をお聞きしたいのですが、福島原発事故の後、首相に促されて浜岡原発を止めることになった中部電力の社長は、
「断腸の思い」
と言われました。
マスコミを通じて聞いたことですから、本当かどうかは判りませんし、また社長がどのような意図で言われたのかも不明です.もしかすると水からの職業に対して忠実な方かも知れません。
でも、ここではその言葉通り、つまり、
「原発は中部地区にとって必要なもので、それを首相の勧告で止めるのは残念至極」
と言う意味なら、私の考えと少し違います.
科学技術がその作品をショーウィンドウに飾るに止めるなら、商人(中部電力社長)はさらに強く「売るものショーウィンドウに飾る」だけに止めなければならないからです。
中部地区のテレビ局のアンケートによりますと、名古屋の人の70%が「冷房を止めても良いから原発を止めて欲しい」と答えているそうです。
もし、これが本当なら、お客さんがいやがっているものを無理矢理、買わせているということになります。
また首相が首相として不適切な人物としても、選挙を通じて選ばれた首相ですから、その勧告は国民の勧告でもあるのです。
つまり、中電社長の言葉だけから見ると、「何を売るのかは俺が決める.国民はあてがわれたもので生活をしろ」と聞こえなくも無いのです。
それは商人の範囲を超えているようにも見えます。
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科学技術者も商人も「神様」になってはいけない、良いにしても、悪いにしても、それを自分が判断するのではなく、あくまでもそのフルーツ(成果)を享受する社会に任せるべきだと私は考えます.
その点では、
「正しい情報が伝われば、国民は正しく判断する」
という民主主義の確信が無いように思います.
(平成23年6月14日 午前7時 執筆)