日本の法律では「1年1ミリ」が被曝限度だが、「1年100ミリまで大丈夫」と国、専門家、医師、自治体、新聞記者が言っている.
他の人の意見が自分と異なる時には、
「なぜ、教養も責任感もある人が、自分と違うことを言っているのだろうか」
と考えることが私のやり方だ。
自分が正しいということはない.自分の意見と他人の意見が違うだけだ。
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「1年100ミリまで良い」と言った人は、たとえば、
1) 衆議院の委員会で私と一緒にでた原子力安全委員会の委員の方、
2) 朝日新聞の女性の記者で署名記事を書いた人、
3) 長崎大学の教授で福島のアドバイザーをしているお医者さん、
4) 東工大の若手の女性の原子力関係の研究者(放射線防護)
5) 松戸市のお役人などの地方自治体の人、
などでいずれも蒼々たるメンバーだ。
そのほか、原子力安全委員長、文科省の大臣、厚生労働省、官房長官、教育委員、校長先生、幼稚園の園長さんなどは「子供でも外部被曝だけで1年20ミリまで大丈夫」と言っている.
子供は大人より感度が高いし、外部被曝だけなので、それを考えるとこの人達もほぼ1年100ミリを指示している.
ずいぶん、多い.
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彼らの言うことに耳を傾けてみると、その中心的な考えは、
「人間はどうせ死ぬのだから、放射線で死んでも良い。死亡率は100%、ガンで死ぬ人は30%だから、1年100ミリで0.5%が死んでも問題は無い」
ということだ。
(1年100ミリの被曝で、ガンが0.5%増えるというのは、ほぼ一致している.1億人で1年に50万人の年齢に無関係の新たなガン発生である。)
日本人が30%もガンで死ぬようになったのは、「人生50年」から「人生80年」になり、歳を重ねると遺伝子が傷ついてガンになる確率が増えたことによっている。
だから、最近では「歳をとったらガンになる」ということが判ってきたので、「生活習慣病」などに気をつけてできるだけ発症時期を遅くするようにという方向に進んでいた。
しかし、上記の人たちが発言しておられるように、人間はいつかは死ぬのだから、10才でも、20才でもガンで死んでも良いではないかという論理もなりたつかも知れない。
「健康」に関する思想の大転換である.
人間は最終的には死ぬ。だから人生の目的は死ぬことである.従って、早く死んだ方が早く人生の目的を達成することができるということでもある。
たしかに歴史的に見ることができない、画期的な思想だ。福島原発事故というのがあまりにも大きかったので、このような新しい思想が誕生したのだろう.
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もう一つ、お酒やタバコ、甘い物を食べるなどの生活習慣は「自らが選択できること」(意志)であり、原発からの放射線でガンになるというのは、「他人から強制される」(強制)であるので、その危険性は20倍から1000倍にしなければならないというのが、今までのリスクの考え方だった。
原子力でも、
1) 一般人の1年1ミリに対して、自分の意志で放射線の仕事に就く人はその20倍の1年20ミリ、
2) 原発の敷地境界には誰が来るか判らないので、1年1ミリの20分の1の1年50マイクロシーベルト、
などとなっていた。
たとえばハンググライダーは死亡率の高いスポーツであるが、自分の意志で、丘陵地帯に行って楽しむから許されている.小学校の子供が強制的に体操で実施するには危険すぎる。
同じ行為でも、意志があるかないかで分けるのもこれまでの考えだった。
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つまり、
1) 人間はどうせ死ぬのだから、早く死んでも良い、
2) 意志があっても無くても危険性は同じである、
という新しい考えが提出されている。
私は、このような考えはまだ納得していない。
人間はできるだけ健康で長生きすることが良いと思うし、人間の目的は死ぬことではなく、毎日の生を楽しむことにあると思っている.
また、世の中には危険なこともあるけれど、自分の意志で他人に迷惑をかけないなら(お酒を静かに楽しむなど)、それは人間として許されるが、酒の飲めない人に強制的に飲ませるのはダメという考えだ。
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この衝撃的な新しい哲学は、自己矛盾を含んでいるように見える.それは「福島原発事故が衝撃的であるから、新しい哲学が必要だ」というのだから、「被曝するのは衝撃的だ」ということになる。
なぜ「被曝するのは衝撃的」なのかというと、「健康を害するから」、「ガンになるから」、「ガンになるのは怖いから」ということだ。
従って、新しい哲学が誕生する理由と、その哲学が提示してくれる新しい考えが相互に矛盾していると感じる.
でも、現実には、福島原発が起こって、突然、新しい哲学が提供され、それを多くの指導者や知識人が支持している.
結果的には、この考えによって現在、「子供達を被曝させる」ということになっているが、それも含めて、早い内に新しい考えの方と深い議論をしてみたい。
福島原発の事故が終わったら、ご意見を変えることはないと思うが。
(平成23年5月26日 正午 執筆)