今までも教育の現場におられる先生から「文部科学省の締め付けはひどいもので、思うような教育をできない」という話はたびたび聞いていました。

かつては、学校に校長先生はおられたものの、その他の先生は、お互いに「先生」であり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

先生がたは尊敬される対象であり、お互いに研修し、児童や生徒のために全力を注いでくれていると社会は信じていました。

「良き学校の時代」でしたが、それを誰が壊したのでしょうか?

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文部科学省が自分たちの支配力を増やすために、校長・教頭・主任などの階級に分け、現在では9とか8階級あると聞いています。

いつの間にか文科省を頂点とするシッカリしたピラミッドが出来ていて、「教育の自由」などはすっかり蔭を潜めました。

親戚に文科省の役人がいると恥ずかしいですね。

それだけではありません。

先生がたは毎年のように増える雑務に追われ、父兄からの叱責を受け、与えられた今日お仕事をこなすので精一杯という状態だと聞いています。

「父兄」から「父母」に、そして「保護者」へと名称が変わったように、学校は形式的に、官僚的に変化していったのです.

今回、福島原発の問題が起きてみると、今までわたくしが聞いていたことが本当であることがわかりました。

保護者の方が学校に行って給食の問題や、校庭での運動の問題についての不安を訴えると、その時の校長先生や先生がたの返事は、本当の意味で児童や生徒の健康の心配を共有するのではなく、「国がこう言っている」とか「教育委員会の方針だ」とか「毎年やっているから」というような、およそ子供の健康とは関係のない話が出てきているからです。

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「国の命令」という点では法律が最も重要ですから。1年に1ミリを越えてはいけませんし、安全だというためには「クリアランスレベル以下(汚染されていないので素人が扱っても良いレベル)」である必要があります。

クリアランス・レベルが1年に10マイクロであることを教育関係者は知らないし、文科省は都合の悪いことは通達しません。

今、教育関係者が口にしている「国」というのは、実は国ではなく、現在の文科省の大臣や役人が単に自分たちの責任を逃れるために一時的な言い訳をしていることに過ぎません。

もしも、教育関係者が誠意ある態度をとるのであれば、法律で11ミリ(被曝限度)と110マイクロ(クリアランス・レベル)しか口に出ないはずです.

放射線医療の学者が、1年に20ミリで大丈夫だと言っているのは、学者が自由に発言していることであって、教育に適応するようなものではありません。

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まず、文科省に法律の遵守を求めます.

原子力基本法がありますが、日本国民が原子力を進めるにあたって約束事を決めたものです。

原子力基本法の最も重要なことの一つは「公開の原則」です。

原子力は危険なものであるがゆえに、それを実施するときにはすべてのものを公開するというのが原則で、もしもその原則に従わなければ、原子力基本法違反で厳しく罰せられなければならないと思います。

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次には放射性物質に関する多くの法律の規定を守ることです.

最近、文科省は福島県を中心とした放射線の強いところで、校庭の土の天地をひっくり返したり、穴に埋めたりするということを進めようとしています。

何もしないよりか良いことなのですが、実はこれにもちゃんとした法律があります。

1年に10マイクロ以上の被曝をしそうなところについては、クリアランス・レベル以上ということで「低レベル廃棄物の廃棄基準」が適用されます。

現在の福島県を中心とした校庭の土は「低レベル廃棄物」ですから、除去することはできますが、天地返ししたり、穴に埋めたりしてはいけないのです。

そのようなことをすると地下水が汚染されたりするからです。

わたくしの読者の中には、セシウムは土の中であまり移動しないので、埋めてもよいだろうというご意見の方もおられます。

日本が法治国家でなければその通りです.

しかし、常に個別の意見というのはあるのですが、それを総合して一つの法律体系になっているのですから、まずは法治国家として法律を守るという立場を明確にしてもらいたいと思います。

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政府も自治体も肝に銘じるのは、

「原子力は他の業務とは違い「公開の原則」がはっきりと明記されている特別な業務だ」

ということです.

原子力のことは、知事が県職員と話をするのも、政府が部内で検討するのも、東電が発電所で対策をとるのも、すべて「公開」でなければならない。

それは、原子力に関しては「秘密」を持つより、「公開」にした方が日本にとって良いと判断したことを意味しています.

この骨太の原則は、一個人が判断して違反することは出来ないでしょう.

(平成23515日 午前11時 執筆)