学問の危機である.そして「学問」が直接、国民の健康を脅かそうとしている。

福島の教職員が子供を守るために立ち上がることができず、教育委員会が「国が安全と言っているから」という一点張りの考えに押され、児童生徒を初期被曝から守れなかったように、学者も学問の危機に立ち上がれない。

「御用学者」という言葉が人目をはばからず語られるようになっても、学者は沈黙を守っている.

1990年の始め、「役に立つ研究」、「研究費の重点配分」になってから、学者は「すこしでも政府にたてつけば、来年から研究費がなくなる」という恐怖に身がすくんでいる.

その意味では、日本の学者の大半が「御用学者」にならざるを得ないのが現状で、学問の危機を目にしても行動ができない。

児童生徒を守ることができなかった福島県の先生方と、多くの学者は同じなのかも知れない。

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でも、何が学問の危機なのか? 

それは、憲法が定める「学問の自由」が公的に犯され、「憲法違反した学者(日本気象学会長)が逮捕されない」という事実が発生したからだ。

3月末、日本気象学会の学会長が、学会員に対して「研究結果を自由に発表してはいけない」と呼びかけた.

憲法第23条は「学問の自由」を明確に示している.そして、日本学術会議が認めた正式な学会は、学問の自由のもとで活動をしている。

学会が「年会」や「研究会」を開くときに、政府の許可を必要としないのは、学会が政府から独立しているからである。

学問に自由を与えることは時の政府にとっては都合が悪い場合がある.でも、近代社会はいくつかの経験を積み重ね、社会の健全な発展には学問の自由(テーマの選択、研究の実施、そして成果の発表について、不利益を被らない)を認めるようになったのである。

そして、学問の自由は「国家の危機」の時に、その必要性が増大する。例えば戦争の前、大災害の時などである。

ドイツのナチス、スターリンのソ連・・・大虐殺が起こるような異常な社会では学問の自由が侵される.

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気象学会長は「気象学は当てにならない学問だ」という。

福島原発からの放射性物質がどの方向に飛ぶかを学問的に研究し、その成果を発表すると「人心を惑わす」ので、気象学会は「政府が一元的に発表するデータ以外の発表は好ましくない」とした。

気象の部門でも、学会は政府より力がないと言う。

一方、政府は巨費をかけて作った「重大事故時の放射性物質の飛散予測システム」である、SPEEDIを持っているが、結果は一度、発表しただけで、まったく公表されない。

このことについて二つの話を聞いた。

一つは「放射性物質の飛散については、政府高官が知るべき事であり、国民に知らせる目的ではない」という学会筋の話であり、二つは「SPEEDIのデータを国民に知らせる必要は無い」というSPEEDI研究者の話である.

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さらに気象庁は、政府に命令されて渋々、IAEAに報告していた福島原発からの気流の動きについて、そのホームページに掲載したが、そこに注釈がついている。

こともあろうに、気象庁は次のように言う.

1) 

このデータはIAEAに出すものであって、日本国民に知らせるものではない、

2) 

このデータは「予測にもとづいて計算したものであり、実際の観測地が入っていないから(予報だから)、本来は発表するべきものではない、

3) 

放射性物質の拡散はSPEEDI の役割であり、そっちに聞いてくれ。

「気流の動き」という意味では気象庁は、花粉予想とか噴煙予想をする。また「未来の予想」では、天気予報、台風進路予報、それに100年後の温暖化予報もする。

それなのに、予報だからという理由で「放射性物質飛散予報」をしない。

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私は学者なので、学問の自由を享受している.何を言っても大学を首になることはない。中部大学は明るく、学問の自由を守ってくれる.

だから、私はその恩返しに、社会に私の専門で判ることをそのまま発信している.

そんな私にとってはこの1ヶ月でもっとも衝撃的だったのは、気象学会長のコメントだ.絶望で目の前が暗くなった。学問の自由がないのなら学問はしたくない。

それに加えて税金をもらっている気象庁が、もっとも大切な時期に福島原発からの放射性物質の飛散予想をしなかったこと、それをドイツ気象センターから供給を受けたことに、やりきれない思いをした。

(平成23410日 午後5時 執筆)