「クニ、貧乏は恥ずかしくないぞ! 額に汗しただけでいいんだ」

父はそう教えてくれた。(わたしの名は邦彦)

時々、父は往復の電車賃だけを持って「無銭旅行」というのに連れて行ってくれた。家から歩いて中央線に乗り、もってきた汽車賃の半分の駅で降りる。

当時の駅前は小さい広場に土煙があがるようなところだった。駅の外にある小さなベンチで家から持ってきたおにぎりを頬張り、水道の水を顔を逆さにして飲み、しばらくしてまた同じ中央線で家に帰った.

父はなにも話さなかったが、「お金と人生」を教えてくれた.

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「クニ、生きている内に評価されたらダメだぞ. 死んで30年がちょうど良い」

私が長じて学生のころ、父はそういった。

生きている内に評価されるというのは、その時代の人が理解してくれることだ。そんなことに価値があるわけではない。本当の価値は死んだ後に評価されることだと父は言ってくれたのだ。

数学者で変わり者の父だった。

一日中、部屋に閉じこもって研究をしていたが、酒が好きで夜は日本酒を飲んでいた。洋酒はダメだった。時々、ジョニ黒やヘネシーをもらうと、母が、

「すみませんが、持って行ってくれますか?」

と出入りの肉屋さんに頼んでいた。

父にとってみればその酒が持つ「社会的価値」などは何の意味もなかった。自分が好きなもの、それだけだった。

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私は体が弱かったけれど、そんな父の言葉を信じて、ここまで生きてきた。父の教えがなければ今の自分はないだろう。

(平成23331日 執筆)