京都大学で不正な入試があったということで大きな話題になっていますが、この事件についてわたくしは次のような感想を持ちました。

わたくしも、大学で入学試験の監督やっていますと「もしかしたらあの学生はカンニングをしているのではないか?」と思われる受験生がいます。

その時には、短い時間ですが、何気なく受験生の近くに立っています。そうするとさすがその受験生も怪しげな態度を取らなくなるものです。

「教育」というのは悪い学生を罰するためのものではなく、未完成でやんちゃな学生を立派な社会人にするために存在します。従って、カンニングをさせてそれを公表したりするということは大学としてはあまり感心したことではなく、「カンニングはいけないことですよ」ということを教えることが教育の役割だからです。

・・・・・・・・・

ところでなぜ大学の受験でカンニングがあるかというと、

1に大学に受験というものがある、

2に大学に入りたい学生がいる

ということです。

大学に入りたいという学生がいることは本当に良いことです。つまり大学というのは基本的には遊ぶところではなくて勉強するところですから、勉強したいという学生が多いということは日本社会としてはとても良いことです。

ですから、わたくしは昔から「大学受験全廃論」で、大学に入りたい学生は全員、入ってもらったらいいという考えを持っています

東京大学や京都大学はいい大学だからそんなことしたら受験生が溢れると思われますが、それは数年間だけのことだと思います。

大学生が多くいれば教室に入れなくなりますし、良い教育を受けないので、ブランド名ではなく、本当に勉強したい学生はもっと学生の少ないところに行くでしょう。

人間にとって勉強したいという若い時代はとても大切です。その人たちのために入りたいが大学に自由に入れても何の問題はないとわたくしは思います。

大学で教えていますと確かにすぐれた学生とあまり勉強しない学生とでは理解力に差がありますが、しかし同じように教育することはできます。

また、人間というのは「優秀だから」、「頭がいいから」=「人間として優れいる」ということにはなりません。多くの日本人はやや平凡でも一生懸命に人生を送り、それがもっとも評価される人のはずです。

だからわたくしは大学で勉強したいという人は、受験を止めて全部大学に入ってもらった方がいいと思います。そしてそこで1年でも2年でも勉強してもらって学問というのはどういうことかということを知ることは本当に日本人にとって良いことだと思っています。

・・・・・・・・・

今回の学生の不正入試事件というものは特殊なものではなく、今までも大学受験でカンニングは随分多かったので、あまり大きく騒ぐのも問題かと思います。

しかし良い機会なので、この機会をとらえて大学受験を無くすということ、希望する人は誰でも希望の大学で勉強をすることができるということ、そして最終的には日本人として立派なのは、勉強がよくできるということではなく、人間的に立派なことだということを日本社会だけでも認めるようにしてはどうかと思います。

一般に勉強が好きな人がそれほど多いとは思えませんが、それでも大学受験がこれほど加熱しているのは、大学が「勉強するところ」ではなく「出世や名誉を得るところ」になっているからで、それを間違いと思う方が私にはまともに思えます。

(平成233月7日 執筆)