わたくしの友人に僻地医療に人生を捧げている人がいます。ある時にその僻地の近くに行く用事があったので、時間を取って彼のところに寄ってみました。

診療所と、そこから歩いて5分ぐらいのところに彼の自宅がありました。診療所を見せてもらい、夕方から彼と自宅の庭で一杯やりながらいろいろ僻地医療のことを聞いたことを思い出します。

僻地のお医者さんはとても偉いと思います.都会でお医者さんをしていれば患者さんも多いし、仲間の医者とゴルフにいったり美味しいものを食べたりできますし、子供の教育も大丈夫です。

でも、わたくしが訪ねて行ったその僻地はゴルフ場無し、グルメ・レストラン無しでした。それに加えて、病院は一つしか無いので、あらゆる患者さんを見なければなりませんし、緊急の治療を要するような場合も多いのです。

僻地で30年、1人で治療してきた友人に、私は心の底から尊敬の念を持ちました。

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その彼が話したことでもっとも印象的だったのは「精神的な軽い病気」のことでした。

現在では「うつ」と呼び、少し前は「自律神経失調症」といい、その前は「ノイローゼ」などと表現したのですが、「精神病」とまでは行かなくても毎日が憂鬱で、酷いときには仕事にも支障がでて退職する場合もあるという病気です。

このような人は都会ばかりでなく、一見のんびりした僻地にも相当おられるようで、彼のように1人で治療するお医者さんは「精神科に行きなさい」とも言えないので、ご自分で工夫して治療をされてきたのです.

彼が私に話したのは、「気分がすぐれない患者さんは、6ヶ月ぐらい休養させるのが一番良いようだ」と言うのです.私はその話を聞いて、神経伝達の仕組みを思い起こしました。

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「神経」というと普通はなにか「電気」のようなものが「ピピッ」と伝わっていく感じがします.事実、神経を伝達するのは電気信号で、そのスピードは実に1秒間で120メートルも流れます.

人間の身長は2メートルもありませんから、1秒の60分の1で体の端から端へ神経の信号が行くのですからすごいものです。

こんな感じなので、多くの人は「神経を使っても栄養は要らない」、「神経を使っても疲れない」と錯覚しているのですが、実は、神経細胞はそれほど長くなく、1つの神経細胞と次の神経細胞の間を連絡するには「電気」ではなく「物質」が必要なのです.

ある信号が神経細胞の端(シナプス)に行くと、次の神経細胞の端まで1ミクロン以下の非常に薄い「隙間」があります。そこは「神経伝達物質」が流れて信号を送ります.

神経伝達物質は消耗するので「考え続けている」と無くなっていくのです.神経伝達物質が無くなってもまだ「考えよう」とすると、神経が回らないので、「気持ちが悪くなる」ということになるのでしょう。

彼が経験している「6ヶ月程度、休養すると治る」というのも、私が見てきた「一度に5ヶ以上の心配事(頭をグルグル回る心配事)があると、どうも気分が悪くなるようだ」というのも、神経の伝達機構から納得できることです.

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春になると精神的に不安定な人が増えますが、特に4月になると「引っ越し」、「新しく家を借りて」、「新しい職場で新しい人に会って」、それに加えて生物学的にも春先ですから、何となく気分も落ち着かない・・・そこで軽い精神的な疾患に陥るようです。

そういう人と話してみると、引っ越しのことでも、職場のことでも、お金のことでも、ひとときも頭から離れないようです。

いつも頭で複数の事を繰り返し考えているわけですから、神経細胞の伝達物質をかなり消費しているのではないかと考えられます。

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さて、まもなく春になります.

一つのことを片付けたら、次のことを片付け、それが終わったらというように生活を単純化することに心がけたらよいのではないでしょうか。

一つのことを片付けるためには、「どうせ、人生はたいした事ではない」と悟りを開くことも前提になります。これができれば気楽に、精神的に快適に過ごせると思います.

人間はどうしても少しでも得をしたいと思うものですが、小さな得のために思い煩って大きく損をするのが人間です.

ところで、ベトナムにはまだ「うつ」という単語がないと言っていました。それは次のような環境がそうさせているのでしょう.

1)   ベトナムでは、天気は温暖で、作物はよく育つ、

2)   給料が日本の10分の1以下である(給料が低い方が気楽)、

3)   ベトナムの通貨(ドン)が崩壊して、紙くずになる可能性が高い(明日のことを心配しても無意味)、

4)   「今日よりか明日はさらに良くなる」という希望に満ち溢れている、

ということです。これなら「うつ」になるはずもありません.

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「人生を捨ててしかも積極的に生きる」というのがわたくしのモットーですが、これも自分の精神を楽にする一つの方法でもあります。

何しろ人生を捨てているのですから、何が起きてもそれほど心配はありません。でも、同時に積極的に動かないと不満がたまるので、「人生を捨てて積極的に生きる」というのが私のお薦めです.

そして積極的に動くのは「頭」ではなく「体」であることも付け加えて起きたいと思います.

(平成2334日 執筆)