オーストラリア人は強烈な「捕鯨禁止」信奉者である!

オーストラリア人は白豪主義で白人だけで生活しようとしている!

オーストラリア人は空港で禁煙が厳しいのに外でスパスパ吸っている!

オーストラリア人はルーズで約束を守らない!

自分では500グラムの牛肉をほおばり、カンガルーを殺し、どうしてクジラだけを「可哀想」などと言うのか!

・・・・・・・・・

オーストラリア人は余りに広い大陸に住んでいて砂浜以外の海は神秘の存在だ.だから、オーストラリアでは「魚の形をした魚料理」はない。

「魚が怖い」と彼らは言う.確かに日本人がニワトリの丸焼きが気持ち悪いように、彼らは魚を見慣れていないので、魚が怖い.オーストラリアの魚料理はすべて切り身である。

オーストラリア人が海に出てみるのは「ホエール・ウオッチング」、つまりクジラが泳ぐのを見るだけだ。だから、彼らにとってはクジラは友達である.

・・・

オーストラリアの北方には自分たちの国の人口の10倍近いアジア人が住んでいる.もし自由に移民を認めると人口が増える.それは彼らの自然を破壊する可能性がある。白人なら遠く北半球の果てから来なければならない。

かくしてオーストラリアの人口は2000万人に抑えることができ、豊かな自然の中で悠々と生活をしている。

そして、人種差別はない。有色人種に対しても親切である.白豪主義は有色人種を差別しようとしているのではなく、自分たちの国は自分たちだけで住みたいと言っているだけだ。

・・・

オーストラリアでは、車に乗ると後ろの座席もシートベルトが必要である。空港でタバコを吸うと目の玉が飛び出るぐらいの罰金を食らう.

「罰金社会」と言っても良いだろう.禁止されていることをするとたちまち監視員が来る.禁止項目も多い.

でも、それは「形式」だけである。「健康に悪いのでタバコを吸わないようにしましょう」とは言わない。むしろ「吸う吸わないは個人の自由.でも吸っていけないと決まっているところでは吸ってはいけない」ということだ。

だから、空港を一歩出るとタバコの吸い殻が散乱しているが、誰も問題にはしない。決まりを決めておいて、あとは自由、それがオーストラリアだ.

・・・

オーストラリアでの約束は当てにならない。何事もいい加減でルーズだ。

でも、車で半日走っても同じ景色が続くようなオーストラリアで、「キチンとやる」必要は無い。すべていい加減でルーズでもなにも支障が無いのだ。オーストラリアは熱帯―亜熱帯―温帯の気候だからゆっくりして良いのだ。

オーストラリア人は、私がヘマしても決して咎めない.「ああ、良いですよ」と言うだけだ。実に気楽な人生を送ることができる.陽気で愛想が良い。

・・・・・・・・・・・・

「オーストラリア人は間違っている!」と日本人は言う。

「日本人はせせこましい.クジラは止めてもらえないか」とオーストラリア人は言う.

どちらが正しいかは分からない。日本とオーストラリアが気候、風土、人種、歴史が違うからだ。オージーにはオージーの正義があり、日本人には日本人の正義がある。

神の身でなければ、正義と正義がぶつかり合うとき、中間をとって妥協するしかないだろう。

(平成2334日 執筆)

(注:オーストラリアのアボリジニーの問題はかなり難しいので、また機会を見て書きます.)