大相撲の八百長が携帯電話から発覚したという、いかにも現代的な事件が起こり大相撲の存続が議論されています。

今回の事件は十両や幕下力士が中心で、今までのように横綱大関が関係しているような八百長とは少し違います。だから「力士の待遇」などあまり本質的ではないことも報道されています.

でも、今までも大関横綱も関係するような八百長があったのではないか?という疑問は、多くの人が感じていて世論調査でも50%から80%の人が「大相撲は常にある程度の八百長があった」と思っています。

ある外国人の書物によると、千秋楽に77敗の力士と86杯の力士が対戦した場合、77敗の力士の勝率が8割になるという異常な数値モ指摘されています。

これに対して、「大相撲というのはもともと日本文化であり、日本文化というのはスポーツとギャンブルもしくは八百長のようなものが組みあさっているものだ、だから当たり前だ」話も出てきています。

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大相撲の話をさらに進める前に少し関連した物事について考えてみたいと思います。

例えば、2010年に有名な歌舞伎役者が社会的に見ても程度の低い事件を起こしました。簡単にいうと世襲制度のもとで傲慢になった若い役者が暴れたという事件です。到底、文化とか芸術とは無縁のことでした。

事件を起こした当人はまだ引退していないようです.

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ところで、歌舞伎というと日本文化の一つの典型で内容的には素晴らしいものがあります。しかし同時に歌舞伎は日本の古い風習、つまり役者は世襲にほぼ限定されています。

考えてみますと、歌舞伎の本質は舞台や踊りであり、世襲制度とはまったく関係がありません。

かつて封建制度の時には、親が王様なら子供も王様になるのが当たり前でした。そこで、イギリスの書物に「王様の息子がバカ息子だった場合、その人が王様になるので、どのようにすれば良いか」ということが真剣に議論されています。

今から考えると、バカ息子なら王様につけなければ良いと思いますが、当時はある枠組みの中にありますから、このようなばからしい議論がおこるのです。

ただ、この問題は「日本文化」とか「イギリス文化」と言うものではなく、社会が進歩するに従って変化していくものなのです。

つまり歌舞伎の世襲制度というのは歌舞伎という素晴らしい文化を作ったので、古い体制のままやっていけるといえます。

もし、歌舞伎の内容が貧弱だったとすると、どんどん改良していかなければ生き残ることはできません。世襲制度などもっての他だったでしょう.

でも、かつて「歌舞伎」というものを作った人がとてもすぐれていたので、歌舞伎界は世襲制度等でも大丈夫だったということを示しています。

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この事でわかるように文化というものはそのものが持っている「中身」のことで、世襲制度とか親方制度といったものは文化そのものではなくてそれを支えるシステムです。このようなシステムは時代とともに少しずつ変わっていきます。

大相撲でもかつては八百長が許されたのかもしれませんしまた、ゴッツアン体質もそれなりに社会的な意味があったと考えられます。

しかし現在では、例えば、かつて認められていた「ヤクザ」、「売春(吉原)」などは認められておりませんし、多くのシステムが社会の進歩とともに変わってきているわけです。

これらのことを考えると歌舞伎とか大相撲と言った貴重な日本の文化を守るためには、文化には直接的に関係のないこと、つまり社会の進歩とともに変わっていくことを改善していかないと、結果的に歌舞伎とか大相撲失うことになると思います。

日本の文化というのは八百長や世襲制度とは全く別のことだということを社会が認識する必要があるでしょう。

それでは大相撲はどうするかという点で私は、まず、これまでの相撲協会の体制を変えて現代に適合するようにし、大相撲の腐敗を見て見ぬふりをしてきたNHKの放送権をなくすことが大切と思います.

つまり、1)実施体制が正しいこと、2)もしその中で腐敗がおこったら、それが目に見える形になることが再生の前提だと思います。

歌舞伎も大相撲も失いたくない・・・そのためには先人の遺業の上に胡座をかかないことでしょう。

(平成2326日 執筆)