関西のテレビで視聴率が20%も行く大きなテレビ番組の放送がありまして、そこで私が「高齢者は死んだ方が良い」と発言しましたので、これが大きな問題になりました。
(「老人」という用語は差別語として扱われることもあり、「高齢者」が普通ですが、「老人福祉法」というの法律がありますので、福祉と法律の人も老人という言葉を認めていると思います。)

さらに再放送もありましたので反響もひときわ多いように感じられます。確かに突然、「お年寄りは死んだ方が良い」等と聞きますと、それは過激な発言と聞こえるのは当然です。

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わたくしは次のような議論の展開でこの発言をいたしました。

まず第1に今後、少子化が進むので若い人が高齢者を支えるのが大変だから子供増やそうという議論がありました。

これに対して私は、「少子化の問題は年金の問題と絡めない方がいい。むしろ若い人がどのような生活を送りたいかということを考えた方がいい。少子化の問題はもう少し奥が深い」と発言しました。

次に、経済的に今後年金を支えるためには若い人の給料を相当提供しなければいけないという議論になりました。

そこで私は、「高齢者は若い人に負担をかけたいと思っているわけではない。もしも若い層に過度の負担をかけるようなら、死んだほうがましである」という意味の発言をしました。

多くの高齢者がそのように思っていると私は信じています。

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いま日本では65才以上の高齢者が約2000万人おられます。このうち特に85才以上の高齢者は、約200万人です。

介護を必要とする高齢者の多くは85才以上の方なので介護が必要な高齢者は200万人程度いると大ざっぱに把握することができます。

これに対して高齢者介護に携わっている人の総数はおおよそこれも200万人です。

従って85才以上の高齢者をほぼ同じ数の若い人が介護に携わっているということになります。

お年寄りを大切にすることは日本文化としてもとても大切なことですが、だからといって若い人がお年寄りの介護でその貴重な時間を奪われるということにも注目しなければいけないと私は考えています。

例えば65才以上の高齢者は2000万人もおられるし、また多くの人が指摘されるように65才以上の高齢者が持っている財産はかなり多いのです。

従って、まず第1に考えられることは、65才以上の高齢者が「高齢者のネットワーク」を作り、その中で若い人に負担をかけないように日本も老後の生活を維持するシステムを作るということも考えてみたらどうかというのがわたくしの一つの考えです。

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また、このブログでも書きましたか、年金を支えるためにピラミッド型の人口分布が必要であれば2030年に老人の年金を支えるためには日本人の人口は4億人程必要だということになります。

またピラミッド型の人口分布というのは若い人も年寄りと同じように死ぬということなので、これはやはり望ましい社会とは言えないと思います。

年金問題になると「ピラミッド型人口分布がいい」という人が多いのですが、ピラミッド型人口分布というのは若年層が死なないと成立しないということを忘れておられるように思います。

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もう一つわたくしの発言の中には、高齢者の介護に携わっている人たちの心が優しいということです。福祉に携わっている人の多くがそうなのですが、心が非常にやさしい方が多いのです.

その人たちは、まさか高齢者は死んだ方がいい等ということは全く言われません。

ただ、福祉に携わっている人たちは現実に85才以上の老人の方がどのような人生を送っているかということもよくご存知なわけです。

人間はどんな年になっても、人間としての「尊厳」を持っていますし、「同情はしてもらいたくない」し、若い人に偉そうに説教されることも好きではありません。

最後まで人間としての尊厳を持ち、同情されないような生活をしたいと高齢者は希望しているのです。

ただ、現実には年を取るとどうしても他人のお世話にならなければならない、それは年をとった人にとっても苦痛のことなのです。

でもそれはまた同時に、人間は年を取るとどうしても体が動かなくなる、頭の働きも悪くなるという生物としての宿命でもあります。

このジレンマ、つまり年をとった人は自分から望んで世話をしてもらいたいと思ったり、人のお金をもらおうとしているわけではないということです。

多くのお年寄りの方が、「若い人に世話になるぐらいだったら、むしろ早く死んでしまった方がいい」と思っているわけですが、だからといって人間は死ねる訳でもないのです。

毎日毎日、テレビで「年とった高齢者を世話するのは大変だ、年金で支えるのは大変だ」と言われているのですから、ひどい社会です.

「そんなこと分かっているのだから、言うな!」とお年寄りは叫びたいのです.

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さらにわたくしの発言の背後に次のような思いがありました。

戦争が終わってから60年経ちましたが、60年前、ちょうど20歳ぐらいの人が多く戦場に出かけ、戦場で散りました。その中には自ら命を投げ出して日本を救おうとした特攻隊の若者もいました。

なぜ彼らは戦争に行き、なぜ散ったのか。それは強制的に戦争に行かされ、自分が好きで突撃したのではないのです。

兵士も将校も日本を救おうと思って戦場で死んでいます。つまり、現在の80才の方は、多くの同じ歳の人が戦場で散っているのです。

また戦場に行かなくても広島、長崎、東京大空襲などで多くの人が命を落とし、その人たちは今の80歳の方のご家族であり、友人だったのです。

そのことは今の高齢者は十分にわかっています。

本当は死に場所が欲しいのです。死ぬということは人間誰もが経験することで決して惨めなことではありません。

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福祉の議論を聞いていますと、本当に大切なことに切り込んでないと思います.また、介護を受ける高齢者の身になって真剣に議論していると思えない節があります。

「若いうちに命を落とさない社会」は「よい社会」だと思います。そうするとどうしても老人の多い社会になるわけですから、その時に若い人に負担をかけずにまた高齢者が尊厳をもって生涯を送ることができるように新しい概念を作っていく時期ではないかと思っています

その点ではもう少し思い切って踏み込んだ議論をしなければならないとわたくしは思っています。

(平成2321日 執筆)