「親が子供の世話をする」のはほぼ全ての動物と言って良いが、「子供が親の世話をする動物」というのはほとんどいない。もともと、親が子供を産むのは「自分の代わりに生きてくれ」ということだから、その子供が自分をケアーすることで苦労するなら本末転倒だからだ。
ところが、20世紀に入り、親の寿命が長くなって、誰が言ったのか知らないが、「子供が親の世話をするは当然だ」とか、「福祉だ」と言い始めた。今ではそれが当然のことのようになっている。
でも、子供が親のケアーをしなければならないのは「自明」ではない。つまり「根拠を示さなくても良いほど当然のこと」ではない。
日本で「社会的に子供が親のケアーをしなければならない」という制度・・・年金制度・・・ができたのは1961年だ。
それまでに軍人恩給など特別な人については年金制度があったが、国民を視野に入れたものでは無かった。しかし、当時の掛け金は月100円で、「お小遣い程度」であり、決して「老後の生活費を支える」という概念では無かった。
だから、年金制度というのはあたり前のように語られているが、歴史的にはほご1990年からと言って良いだろう.それがもう少し立つと「若者の生活が脅かされるほど、年金が増える」と言われている.
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「若者が年寄りにお金を払う」式の年金は2050年ごろに終わりになるだろう.コンピューターのクラウド化によってほとんどの「仕事」が日本から姿を消すからである.
自動車の運転は自動になり、田畑はGPSとクラウドで収穫をえる。警察は少し残るがすべての行動が把握できるので、逮捕も裁判もすぐ終わってしまう.弁護士などは失業である.
また「燃えないもの」だけで身の回りのものができるので、火事がなくなり、消防署も素多賀を消す。
預金や払い出しなどの概念が無くなり、銀行も証券会社も姿を消す.残るのは飲み屋のおばさんと天ぷら屋の大将ぐらいなものだ。
それでも少しの交際や仕事は必要だから、20歳ぐらいで教育が終わったら、毎日3時間ぐらい軽労働をしてそれで終わりだ。仕事は75歳ぐらいまでできるから、ケアーしなければならない若者も年寄りもその割合はグンと減る.
65歳以上の老人が75歳以上でかつ働けないという人たちの面倒ぐらいは楽々、見ることができる。
基本的には誰も働かずに生活できる社会が登場するのだから、年金負担もなにも無いのだ。
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私たちは「今」がずっと長く続くと思っている.でも、人間の歴史を振り返ってみると、「今」は続かない。
100年前.航空機、自動車、家電製品、水洗トイレ、瞬間湯沸かし器、テレビ、携帯電話、パソコン、ガスレンジ、電子レンジ、ガスでわかす風呂、育毛剤、トイレットペーパー、羽布団・・・すべては無かった。
今、私たちが使っているもののほとんどは100年でできた。そしてこれからは、頭脳をコンピューター、手足をアクチュエーター、人と人のつながりを光ファイバーがするようになる。
それはすでにできあがっているのだから、「できるかできないか」の問題ではなく、「いつできるか」の問題だけである。
そしてやがてロボットが登場し、妻も飲み屋の女将さんもすべては姿を消すだろう.その時には人間は今よりずっと幸福になっていることは間違いない。
100年前より今のほうが幸福なのだから。
(平成23年1月28日 執筆)