理学のように「自然の真理を明らかにする」という学問は別だが、法学、工学、農学、医学のように現実の生活に密接に関係する学問では、自らが専攻する学問と私生活がどのような関係にあるべきかということは常に問題になる。

たとえば、刑法を専門とする法律学者が犯罪を繰り返した場合、社会はその法律学者を尊重しないだろう.

自動車工学を専攻する先生が「私は自動車嫌いなので歩いています」というのも何となく奇妙な感じがする.私の経験では機械工学科の先生は個性的な車に乗っておられることが多い。なんとなくその方がしっくりいく。

「医者の不養生」という有名な言葉がある。病気を治すのが専門の医者が不養生もおかしいが、医者は「病気を治す」のであって「健康を守る」のではないと解釈すれば一応の理屈はつく.

このようにその人の学問は長い間にその人の生活信条となり、周囲もそれで納得する.

それでは、年収1200万円で東京に住んでいる「環境の専門家」というのはあり得るだろうか。

環境と言っても様々なので、もっとも大がかりに進められている「地球温暖化、生物多様性喪失、資源枯渇」に絞って論理を展開していきたい.

環境と行政区分は違うので、東京都市圏を考えると、気温は100年で3.5℃も上がり、林立するビルや行き交う電車や自動車は冷暖房を使っている.破壊的な環境になると言われている100年後をすでに先取りしている.到底、温暖化に関心のある人の集まったところとは思えない.

東京都市圏で家畜や街路樹以外の生物の姿を見つけることは難しい。あの広い東京都市圏ではゲンゴロウがすでに絶滅したように生物多様性とはおよそ無縁な空間である.

年収1200万というと平均的な日本人の2倍から3倍の収入だ。それだけ、消費している.預金をしてもそのお金は銀行の金庫に眠っているわけではないので、誰かが使うし、預金した本人もやがておろして使うから人が違ったり、時期がずれるだけで、消費することは変わらない。

平均的な日本人より資源が枯渇する生活を送っている.

そうなると、地球温暖化、生物多様性喪失、資源枯渇のいずれの点でもこの環境の専門家は自ら執筆し、口に出していることと、行動が大きく隔たっている.

多くの環境の専門家が東京に住んでいることを考えると、この問題はより根本的なところにその原因があると考えられる.すなわち、「専門の対象物」と「個人の私生活」が調和しないからである。

その専門家が「地球温暖化、生物多様性喪失、資源枯渇」がもし環境破壊につながると考えているとすると、それは「より高い収入とより快適な生活」という人生の目的とは相容れないからである.

従って、東京都市圏に住む環境の専門家は、正常な精神状態にいることはできず、統合失調症(価値観の異なることを同時になしえる精神病)になると考えられる.

環境問題に共通する統合失調現象は現実に不可能な学問的結論を得ていることに原因がある。この事実は今後の環境学にとってきわめて深刻な課題になると考えられる。

(平成23118日 執筆)