もう15年以上前のことになると思いますが、「不動産販売をまともにしよう」という動きがありました。

それまでの「不動産販売」というのは「ウソをつく代名詞」のようになっていて、セールスマンがもみ手でやってきて、買いたいと思っている土地の欠陥などまったく言わずに、客をだまし、客が買うとそのセールスマンは雲隠れして、文句でも言おうものならアウトローのような強面の人が出てきます。

そして脅し半分、会社をバックにした組織半分で、だまされた客を追い返すということが行われていたのです.

ところが、そんなことが長続きするはずもありません。「不当なことも黙って我慢する」という社会が終わりになると、たちまち社会的に糾弾し、「完全に説明していなければ、いつでも契約を解除できる」という事になりました。

不動産業界もセールスマンの教育にかなりの力を注ぎました。

この不動産販売の動きは、その後、訪問販売や不良品を返すことができることなど、さらに「まともな社会」になってきました。

今では、生命保険のセールス、証券の販売などのように直接、ものを扱わないものでも、少しでも「ウソ」があれば、全面的に契約を解除し、損害があれば損害を補填するシステムが整備されています.

裁判になっても、裁判所は「不正確な説明をして、個人に被害を与える」という事例については、きびしく対応するようになりました。

簡単にいえば組織の力で泣く人が少なくなったと言えるでしょう.

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ところで、このエッセイの話題ですが、上の話とは間接的にしか関係はありませんが、憲法で保障された言論の自由や思想信条の自由についてです。

日本国憲法は言論の自由の他にいろいろな基本的人権について保障していて、そのもとで日本人は「個人として不意に不利になることはない」と安心して生活をしています。

でも、言論の自由にも制限があります。このことを一度、司法(法律)の関係者にお聞きしたところ、いろいろある中で特に、

1)   個人がどうにもならないこと(性別、出生など)を批判する、

2)   大新聞などが個人を批判する、

ということに注意するように言われました。

最初の点は当然のことですが、「あいつは女だからダメなのだ」とか「あれは東京生まれだから・・・」というのは言論の自由には入らず、もしどうしても個人を批判しなければならないときには、「あの人がこう言っていることは、私とはこの点で意見が違う」などと具体的にその内容を言わなければならないでしょう。

また、私個人はできるだけ個人の批判やせず、政府、強い団体などは批判することにして自主的に制限をおいています.

さらに、2番目のことですが、大新聞やテレビなどが特定の個人を批判すると、批判した側と、それを受けた側で大きく発信力が違います.

最初の不動産販売のこともそうですが、個人対個人なら、ウソをついて不動産を販売したら、それなりに反撃することができますが、相手が怖い人を用意し、弁護士をつけて万全に守っている場合、日本人個人を守ってくれるのは裁判所しか無いからです。

でも、裁判というのは個人にとって容易ではありません。裁判に訴えると言うこと自体でもお金や時間など膨大な負担があり、一方、相手は「会社ぐるみで仕事で訴訟をこなす」ということになるので、もともと「法の下の平等」が成り立たないのです。

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また「不適切な発言」という批判をして、個人の自由を圧迫する例もあとを断ちません。

特定の個人を批判したり、相手が反撃できないような組織の力で個人を批判するのは禁じ手としましても、自分の政治的、または思想信条から自由に発言すると、それについて反論をするのではなく、個人的に「不適切な人物だから解雇しろ」という圧力が勤め先にかかったり、「あのような思想を持っている人物を採用するのか」という思想信条の自由を侵すような圧力は常にかかるようです。

なかには、悪辣な例もあるようですが、多くは「利害団体」の人が自分たちの仕事に邪魔になるから排除したいという場合や、単に個人が「思想信条の自由」を錯覚して、「自分と違う思想の人は許さない」という行動に出ることもあります。

社会的な批判を受けやすいテレビなどは、このような横やりを恐れて、自主的に「自由に思想信条を吐露する人物」を忌避する傾向があり、それが「政府のイエスマン」が多くテレビにでることにもつながっていると思います。

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ある個人が、他の人にとって不適切なことを言ったとしても、それについて具体的に反論すれば良いのに、どうも反論より人格の批判の方が得意の人が多いようです.

日本国憲法に基本的人権が明記されていると言っても、それは「学校で習ったこと」に過ぎず、「血を流して獲得したこと」ではない、それが日本の民主主義の一つの弱点になっているようです.

でも今後、日本に「明るい民主主義」が定着するためには、「血を流さずに」日本人個人の意識と努力で少しずつ前進する以外には無いと思います。

(平成2316日 執筆)