・・・雨降りお月さん 雲のかげ

お嫁にゆくときゃ 誰とゆく

一人でからかさ さしてゆく

からかさないときゃ 誰とゆく

シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた

お馬にゆられて ぬれてゆく・・・

野口雨情が書いた詩に中山晋平が曲をつけて日本の名曲になった。

この詩が書かれたのは大正14年だから1925年、今から85年前だ。日本人の平均寿命は男女とも43歳.結婚して家庭を作り、2人で一所懸命、人生を歩む.

でも、男は田に出て一日中、力仕事をし、女は朝早くから掃除洗濯子育てで体はボロボロになる.日照りが続くと夫は家族が飢え死ぬことがないよう必死になり、妻は姑の世話をしながら過ごす.

そして40代も半ばになると体はボロボロになって死の床に就いた。それでも多くの人は神様に感謝し、幸福な思いの内に一生を終えたのだった。

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当時は結婚前に一度も顔を見たことがないという場合も多かった。お嫁さんが馬に揺られて来ると、お婿さんが出迎え、そしてお互いに座敷に座って、そこで初めて相手の顔を見る.

「もうちょっと別嬪さんだったらな・・・」

「あら、働きのなさそうな人・・・」

なにをお互いに思ったのか、それは様々だが、心は一つだった。それは、「これからこの人と夫婦になるのだ」ということだ。

婚姻届はその日の内に役場に出せる.子供も10月10日でできる。でも簡単に「夫婦」になることはできない。そのことは二人ともよく分かっていた。

顔も知らない相手と結婚するのだから、結婚したとたんに「愛している」という関係でもない。まして「できちゃった婚」などという下品なこともない。

ただ、二人には「この人こそが神様が決めていただいた生涯の伴侶だ」という意識だけはあり、そうなろうと努力するのだ。

やがて子供に恵まれ、生計を立てている内に二人は一つになる。相手の喜びは自分の喜びとなり、相手の悲しみは自分の悲しみとなる.

そこで初めて夫婦になる。自分が痛ければ相手も痛い、相手が嬉しければ自分も嬉しい。

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それから85年.「損得ゲーム」にいそしむ夫婦が増えた.「私だけが台所をするのはおかしいわ.少し残しておくから、あなたもやりなさい」、「俺ばかりがなぜ稼ぐんだ。おまえも稼げよ」、「そんなに使うなら私も貯金を使ってやるわ!」と怒鳴り合う夫婦が増えた。

家計をともにし苦楽を共にしている夫婦が「損得ゲーム」をしているのだ。それは「共同生活者」であって「夫婦」ではない。

ご飯を食べるときもできるだけ相手に美味しいところを食べさせようとする。妻が靴を買って喜んでいたら自分の事のように嬉しい。

そういえば、自分は靴などはすり切れれば買えばよいが、妻はあれこれ言って新しい靴を買ってくる.でも、それで良いのだ.自分の代わりに靴を買って喜ぶ人が妻なら、それは自分自身でもあるから。

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愛しているから夫婦ではない。お互いに愛している男女を恋人と呼ぶ.

結婚届を出したから夫婦ではない。外国籍の問題で偽装結婚をする人もいる。結婚届けは単に法律的な位置づけだけだ。

まして子供ができたからといって夫婦ではない。

夫婦とは心と体が一心同体になった一組の男女のことなのである。

(平成2313日 執筆)