今から約20年前、世界はある一つの秩序から大きく別の世界に入ろうとしていた。20世紀の初めから知識人の心をとらえてきた「共産主義」というものが、理想的な政治体制ではないことがハッキリしてきて、中国では天安門事件、ポーランドで連帯の出現、ドイツではベルリンの壁の崩壊、そして少し時期的にはずれるが、ルーマニアの大統領銃殺、そしてソ連自身も消滅した。

共産主義というのはずいぶん巨大で長い実験だったが、人間の頭が考えた理想というのがどんなに軽薄なものかということを、スターリン時代の大粛正(大虐殺)の死亡者や、共産党幹部の腐敗の犠牲を積み重ねて白日のもとに晒した。

それから20年、今年の日本もひどかった。何しろ民主党は選挙公約をほとんどすべてを守らず、「選挙が終わったのだから、議員だけは続けたい」と言っている.

鳩山前首相は「ウソだらけ」の人で、日本は大損害を受けた。母親からもらった月々1500万円の話をするという約束はどこまで言っても守るのが当然だ。それまでは政界には顔を出して欲しくない。

普天間基地、高速道路無料化、減税、緊縮財政、赤字国債の減少、官僚政治から政治主導へ、ガソリン税の撤廃・・・いったい、あれは何だったのか?公約を守らずに良く政権についているものだ。

・・・・・・・・・

政治家は知識人とはいえないが、2010年の日本の闇を作ったもう一つの人種が知識人だった。

知識人が判断を間違えるのはそれなりの理由がある。一つは知識があるように見えて肝心の知識、「人間の頭脳の欠陥」についてよく知らないことだ。

人間の頭脳というのは「今、正しいと考えている事が正しい」という実にばからしいことを信じていることだ。「俺はこう思う!それは正しい!」と言う.

でも、歴史をつぶさに見ると、その時、その時で「正しい」とされることは大きく変化している.少し前に「正しい」とされたことは、次の時代には「間違っている」と言われる.そのことだけを列挙しても膨大な数になる。

だから、「今、正しいと考えている事は正しい」のではなく、「今、正しいと考えていることは間違っている」ということであるのが分かるはずなのだ。

「それじゃ、なにを正しいとすれば良いのか?そんなことを言っていても意味がないから、今、正しいと考えている事が正しいとするしかないじゃないか」とまた三百代言を持ち出して、さらに間違いを繰り返す.

「正しい」というのは「行動」」とは関係ない。正しいことは正しいのであって、何が正しいか分からないと行動ができないから、間違っていることを正しいとするしかないじゃないかといって、間違っていることが正しくなるわけではない。

・・・・・・・・・

もう一つは、自分の身の回りのことが世界中で行われていると錯覚することだ。このことは「温暖化」でいくつもある.

「俺の子供の頃より、温かくなっている」というのがそれで、世界は「君の身の回りだけではないよ」とつい言いたくなる.

2010年の知識人の誤りの一つの「暑」がある。確かに、日本の本土の夏は暑かった。でも、先日、沖縄に行ったら、「「暑」って、何ですかね。沖縄の夏はずいぶん涼しかったのですが」と言っていた。

そう、暑かったのは本州の周辺だけで、沖縄もベトナムも涼しい夏を過ごしていた。

自分が中心、だから自分が住んでいるところが日本で、他の場所は日本ではないというのも知識人の特徴でもある。

・・・・・・・・・

最後に知識人と言われる人は「自分は偉いから我慢しなくても良い。我慢は劣った人がするべきだ」という信念がある。

自分は東京に住んで、温暖化を促進しても良いが、他人は温暖化を防止するべきである、自分は東京に住んで周りの生物は全てイヤだが、他人は生き物と一緒に過ごすべきだ、と言う。東京には森林は要らないが、地方の森林は大切にしろ、東京のように地価の高いところに森林を作ったらもったいないが、君たちのような劣った人の土地なら安いから森林を保護しなければならない・・・と無限にわがままを言ってくる.

そのあげくには自分は反対のことをしているのに、「温暖化を防ぐために、あなたには何ができますか?」、「地球環境を守るのは一人一人の心がけ」などと言う.

人によっては、年収2000万円以上あって、そのお金を隠れて使い、自分は質素なものを着て地下鉄に乗り、「私は環境派」と言っても良心の呵責を感じない人もいるようだ。

・・・・・・・・・

でも、こういう「心の問題」というのは、どうしろとかこうしろということではなく、本人自身がよく分かっていることで、決して心穏やかな幸福な人生は送れないものである。

その意味で、神様がおられるかどうかは別にして、自分が中心だったり、人に奉仕することができない人は、失礼だから具体的には言えないが、人生でなにかのペナルティーを受けている.

人生とはつじつまの合うものである。損をしたように見えて得をしているし、得をしていると思うと損をしているものだ・・・

(平成221231日 執筆)