何事も、困ったことを解決しようとしたら、深く考えなければなりません。たとえば、犯罪は徐々に減りつつありますが、それでも秋葉原、池袋、そして今回の取手事件など通り魔事件など悲惨な事件が後を絶ちません。

「通り魔を無くしたい」と誰でも思うでしょうが、どうしたら無くすことができるかを考えるには相当の思考力がいります。

通り魔の犯人が「自分の人生を終わりにしたい」などと言っているのを聞くと、「そんな身勝手なことがあるか。自分の人生を終わらせたいなら自殺すれば良いじゃなっか」と言っているようでは解決にはならないからです。

ここでは、その一端をご紹介したいと思います。できれば、「犯人が憎い」とか「異常者だ」というのに議論が止まらず、具体的な対策まで行きたいものです。

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社会現象には一つの特長があります。

それを簡単に言うと「社会は、一人一人の個人の心の中が反映したもの」だということです。

仮に日本人全部がお釈迦様のように偉い人だけだったら、社会は本当に楽しいものになるでしょう。それはお釈迦様の心の中が美しいからです.

ところが、人間の心の中には優しい面や思いやりなどもあるのですが、その反面、嫉妬、仕返し、恨み、ねたみなどもあり、時には「貶めてやりたい」とか「殺してやりたい」という心もあるのです。

一人の人にとっては、「殺してやりたい」という心が100分の1であるとしても、その人が100人集まったら、殺人が起こると考えられるのです.

実際の計算はもう少し複雑で、一人の人が「殺したい」という心を持っている場合、その「殺したい」という心が1%あるとすると、その心の「揺らぎ」を計算します。

この世にあるどんなものも、「揺らぎ」があります。「揺らぎ」とは、次のようなものです。

一人の人が「結核にかかる」という可能性が1%あるとすると、健康であればそれが0.1%に減りますし、体調の悪い時期が長く、それも衛生的な環境では無いようなときに、「平均的には結核にかかる可能性が1%」でも、そんなときには50%にもなります。

そうなると、ある人は50%が20%に減り、ある人は80%になったりします.80%というと10人に8人ですから、結核にかかる人が出てきます.

つまり、平均的には1%でも、人間が大勢集まると現実に起こってしまうということです。

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通り魔という社会現象が起こるのは、「自分の心の中に「自棄(ヤケ)になりたい」という気持ちが少しでもあるからという事になります。

それでは、どうしたら防止できるでしょうか? 二つの方法があります。

1)   揺らぎを小さくする、

2)   一人一人の心を綺麗にする。

まず「揺らぎ」を小さくするには、「大家族があり、おばあさん、父と母、子供、時には親戚が一人か二人」という家族で、それぞれが遠慮し、助け合う生活をするという社会制度です。

できれば二家族ぐらいが近くに住み、結婚が遅れたおじさんやおばさん、病気療養中の子供なども一緒にいるのが「揺らぎを小さくする」ためにはベストでしょう.

そうすると「もし結婚できなければ」と恐怖におののかなくても良くなります。また病気しても一時的に家庭という温かいところで過ごすこともできます。

その代わりややこしいことが起こります。毎日の生活は気軽なものではなく、いろいろな人間関係や制約がでます。でもその代わり、社会は安全になるでしょう。

このような制度はいつも家庭にいる女性に厳しいとされてきましたが、現在のように女性が社会にでて活躍し、男女の力の差が無くなってきたときには、むしろ女性にも良いかも知れません。

子供の世話も家の「誰か」ができますし、みんなが少しずつ譲れば良いのですから、結果的には楽しい生活を送りやすいと思います。

大家族は良い制度です.通り魔を減らすために、大家族を優遇する方向に政策を変えるべきでしょう。個人主義は日本人に合いません。

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もう一つの方法は、一人一人の心の中を綺麗にすることです.そのためには小学校で「道徳の教育」を行う以外にはありません。たとえば、次のような話を暗記させるのです.

「昔山城の川島村に儀兵衛といふ人がありました。生まれは京都でしたが、生まれるとすぐこの村の貪しい家にもらはれて来ました。十歳の時、養父に死別れ、それから三十九年の間、身体の弱い養母に事へて、一心に孝行を尽しました。

人に雇はれて京都や伏見に行き、用事がひまどつて帰りがおそくなることもありました。そんな時には、母は待ちかねて、歩行も不自由なのに、杖をついて半町ばかりも迎へに出て待つてゐます。やがて帰つて来た儀兵衛の顔を見ると、母は大そう喜んで涙を流し、儀兵衛も母の迎をありがたがつて涙をこぼし、二人ともものも言へないで立つてゐます。しばらくして儀兵衛は買つて来た土産を母に渡し、手を引いて家に帰つて行きます。」

これは孝行の話ですが、このような道徳を小学校の時に「耳タコ」のように聞かさせると「自分は立派な人間なのだから、しっかりしなければならない」という人間としてとても大切なことを覚えるのです。

人間は頭脳が発達し、ある意味では「幻想」だけで生きているとも言えます.だから「通り魔」のような目的がよく分からない犯罪が起こるのですが、それを防ぐには「幻想」に「幻想」をもって対峙するということです。

「親に孝行」、「社会に奉仕」というのはどちらも「幻想」かも知れません。動物は「親の愛」はありますが「子供が親に孝行する」というのはほとんどありません。親は子供の犠牲になるものであり、子供が親を面倒を見るというのは生物的ではありません。

でも、人間は頭脳で幻想を抱きますから、「通り魔をしたい」という幻想に対して「親に孝行」という幻想が必要と私は思います。

道徳教育は必要です.通り魔を防ぐために道徳教育を復活させましょう。

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通り魔という事件に対していろいろな考えがあると思いますが、このような悲惨な事件を減らすためには、多くの人が知恵を出し合って、議論し、そして解決策を見つけていくものと思います。

その途中で、議論が未熟だとか、専門外だというような批判を出さないことです。もし出す人がいたら「あなたはそれほど分かっているなら、通り魔を防いでください。」と言えば良いと思います。

(平成221218日 執筆)

(注:このエッセイは最初に書いたときにウッカリ、「最近は犯罪が増えている」というような調子で始めましたが、統計的には必ずしも犯罪が増えている分けでもないので、少し手を入れました。)