なぜ、子供は小学校から高等学校まで、学校に通って勉強するのでしょうか?

人間として必要な知識を身につけ、社会にでて立派な大人になるために勉強するということには誰も疑問を挟まないと思います.

でも、このところ日本は「不景気」が続き、就職率が低い状態が続いています。特に昨年から今年にかけて「おおよそ希望するところに就職できた」という大学生や高校生は50%、つまり半分ほどです。

それどころか「就職もできない」という子供たちが3割を超す事もあります。なんということでしょうか?

就職できない子供たちが「立派な大人」になることができるでしょうか?

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私は社会を構成する大人の義務の一つに「自分たちの国の子供が、学校をでたら働くところがある」という「環境」を作り出すことだと思っています.

「学校をでても働くところがない」というのは悲惨です.そして「勉強して将来は立派な大人になるんだよ」とか「額に汗して働いて自分の力で生きるんだよ」という大人の呼びかけにウソがなります.

遠い将来は人間が働かないのが標準になるかも知れませんが、現在はほとんどの国民が何らかの形で働き、それによって日本が繁栄し、個人生活もまともになるという状態です.

そのためには若い人の就職口が必要です.かつて、まだ日本の産業が発達していないときには「簡単なこと」でも仕事になりました.

でも、今は大会社が優れた商品を製造し、それを大量に安く販売するシステムもあり、さらには食べるところですら、チェーン店が整備されています.

なかなか自分で食堂を開くことすら難しいのです.

だから、「学校をでたら自分で仕事を始めるぐらいでなければ」というのは今の子供たちには酷なことなのです.

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なぜ、日本には求人する会社が少なくなったのでしょうか? 若干一面的ですが、大人が考えるきっかけをまず作りたいと思います.

1)   ホッキョクグマを守れといって規制を厳しくした、

2)   その結果、企業は海外に工場を造るようになった、

3)   今の政府の政策は「企業は海外に行け、若者は就職できなくて良い」と言っているようなものです。

もし日本の大企業に「日本社会に対する責任感」が強ければ、あるいは社長や社員が自分たちの給料を2割カットしてでも、若い人を雇用すると思いますが、それを企業の指導者に求めることは無理でしょう.

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歴史的にはいろいろな解釈もありますが、私は、

「和を以て貴しとなす」・・・利害関係で徒党を組まないことが、「和」を保つもっともたいせつなことだ。

「万機公論に決すべし」・・・全ての事は私論ではなく、正論できめることだ.

と思います.言うまでもありませんが、最初の言葉は聖徳太子の十七条の憲法、2番目は明治天皇の五箇条のご誓文の一部です。

「和」というのは「まあまあ、なあなあ」でも「仲間内の和」でもなく、「全体の和」で、そのためには「私的な利害を優先するようでは和は達成されない」ということです。

「万機」というのは本来は政治のことですが、「生活の全ての事」としても良いでしょう。それは「自分の利益のため」ではなく「正論」、つまり日本全体でどうするべきかという議論をするべきというのです。

だから、この二つの言葉はほとんどおなじ事を言っているとも考えられるのです.

日本全体の和、つまり就職できた人たちだけが栄え、学校を終わった若者の半分がニートになるなどという社会は到底、「和」の社会とは言えません。

また、ホッキョクグマを大切にする余り、日本に企業を海外に追い飛ばすような政策も、到底「公論」に基づいた「大機の決め方」ではないことも明らかでしょう。

私たち日本の大人は、物質的に大きな不安が無くなった今こそ、この遺訓をかみしめて一刻も早く「和を以て尊しとなし」、「万機公論に決する」社会を作りたいと思います.

若い人がはつらつとして元気で、希望を持った社会こそ、なによりも「環境の良い社会」です。

(平成221214日 執筆)