日本社会はどのような判断を示すだろうか?
朝青龍と海老蔵、2人の環境と行状はあまりにも似ている。日本の伝統的なスポーツと芸術の代表格である、大相撲と歌舞伎。その世界でのほぼ第一人者の不祥事。一つは2010年の1月、もう一つは11月.
その不祥事の場所や雰囲気も「深夜の東京の飲み屋、酒、喧嘩、暴走族」などと不思議なほど一致している.
朝青龍は横綱審議委員会の厳しい指摘もあって、横綱を引退。追われるようにしてモンゴルに帰った。朝青龍事件は日本人の外国人排斥の感情だったのだろうか?それとも日本の伝統にそぐわなかったのだろうか?
私たち日本人が朝青龍を引退に追い込んだのは、「強い外国人」が憎いからというのでは、日本人として哀しい.
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社会は複雑だから、「法の下に平等」とはいうものの、いろいろ考慮しなければならないことがある。でも、あまりにも取り扱いが違うのもまた問題だ。
朝青龍の時には、当の本人の朝青龍ばかりではなく、相撲界全体が批判の対象となり、その影響が長引き、夏には琴光喜が賭博で引退に追い込まれた。
大相撲協会の理事長はたびたびマスコミの前に出て、「管理責任、相撲界の体質」を問われた。
海老蔵の場合、被害者か加害者かハッキリしないこともあり、本人はかなり糾弾されているが、今のところ歌舞伎界は沈黙を守っている.
私自身は、歌舞伎界が沈黙を守ったり、海老蔵と近い人がエールを送っているのを違和感を持って見ている.歌舞伎は日本人が誇るべき芸能だ。内輪でも「悪いことは悪い」ということもハッキリしていないのではないか?
そして、「不祥事は芸人に取っては問題では無い。芸人は芸が良ければ良い」という論評もあるし、「芸能人だから騒がれて損をしている」というテレビのコメントもあった。
1) 「芸人は芸が良ければ免責される」というなら、朝青龍は相撲が強ければ問題がないことになり、小学校の先生は教え方が上手ければ私生活は乱れてても良いという事になる。
2) 「芸能人は騒がれて損」というコメントは、現代の一般の日本社会をあまりにも知らないような感じだ.
小学校の先生が暴力事件を起こしたら、「小学校の先生が!なんということだ!」と周りは騒ぎ、時には辞職に追い込まれる.それは「小学校の先生ということで普段、尊敬されているのだから、それなりの行動を求められる」ということだ。
海老蔵も歌舞伎界のプリンスとして尊敬され、名跡を継いでいる.社会的な立場や尊敬される程度は小学校の先生に劣らない.
いや、それより会社員でも、深夜の怪しげな飲み屋で喧嘩になり、警察沙汰になったら、クビも危ない。私が若い頃の会社の経験では、係長以上でそんなことをしたら、退職も覚悟しなければならない。
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江戸時代は違っただろう.
なにしろ、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたし、売春という点では吉原など「公娼」がいた時代である.
歌舞伎は日本の伝統芸能だ.だからといって、時代が変わっても倫理観が変わらないということはない。
大相撲でも、タニマチがいて、次郎長が興業に関係していただろう.でも、現代の日本社会はもっと進歩し、まともなのだ。
その点で、海老蔵ばかりではなく、歌舞伎ファン、マスコミなどが今後、どのような倫理観を示すか、注目したいところである.
海老蔵は、朝青龍、小学校の先生、会社員と比べて社会的にどのような位置づけなのだろうか。もし位置づけが低ければ、彼の報酬はその位置づけに合致しているのだろうか?
(平成22年12月8日 執筆)