生物多様化の国際会議も終わったが、先進国が途上国の発展を抑えるという目的に日本も荷担した議定書ができた。

この問題を最初から「思想、政治」で扱うこともできるが、「科学」という面ではどうだろうか?

科学は次のように考える。

第一:「生物」が「多様」であることは大切か?

(地球にとって)  どちらでも良い、

(生物界にとって) やや少ない方が良い、

(人間にとって)  やや多い方が良い。

第二:現在の多様性のレベルは適切か?

(生物界にとって) 多すぎる

(人間にとって)  分からない

第三:「多様」とは具体的に何万種、あるいは何を意味しているか?

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(理由)

多細胞生物が爆発的に増えたのは今から約5.8億年前のカンブリア紀で、もちろん多細胞生物が増える前は種の数は少なかった。

それから2.3億年後にペルム紀の大絶滅が起こり、1000万種程度の種の90%ぐらいが絶滅したとされている(古生代の終わり).

またゼロから始めたようなものだが、「種の元」というのがあったのだろう.恐竜で有名な中生代には、1.9億年で2000万種になった。

この時点(中生代の終わり)で、種の70%が絶滅したとされているので、600万種から再スタートして、現世の3000万種まで増えてきたとできる。

そうすると、古生代が2.3億年で1000万種、中生代が1.9億年で2000万種、そして現世が6000万年で2400万種となり、時代とともに種の増え方が大きくなっている。

また、過去の大絶滅の時にどのぐらいの種が絶滅したかについて、上に書いてきた従来の考え方(化石の状態から見る)のと、2004年のGastonSpicerの研究のように、「種の元」のようなものは残ったと考えて、古生代の終わりに2割程度、中生代の終わりに1割程度が絶滅したとするほうが妥当だろう.

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(さらに)

新しい種ができる理由は、

1.           ニッチ(種がいない空間)があったとき

2.           従来種より強い種が誕生したとき

3.           従来種が絶滅したとき

である。生物の進化という意味では、古生代は生物が増えた頃だから、1.(いない空間)があったから新しい種はあまり強くなくても生き延びただろうけれど、中生代になるともともと1000万種もいたので、2.とか3、によって新しい種が誕生したと考えられる.

たとえば、恐竜が繁栄していた時代に隕石が落下し、競争力の強い(体が大きいことも大切)種が滅びたので、ほ乳類が誕生し、そして人類が生まれた。

だから、生物が「進化する」ということが「良いこと」ならば、「絶滅」は望ましい。逆に生物が「今のままで停滞する」ことが「良い」とするなら、「保護」が望ましい。

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「生物多様化」という社会的課題を「人間のため」と限定すれば「絶滅は危険」という考えも成立するが、「自然のため」とすると、「絶滅は歓迎」ということになる。

視点をどこに置くか、それをシッカリしておきたい.

2010年に行われたCOP10の会議は、このような科学的視点を持っているものではない。その点、学者や専門家は「生物多様性が大切だ」というのに慎重であるべきと思う.

「多様」というのは100万種なのか、1000万種なのか、それがハッキリしていないで、「大切だ」というのは家畜のレベルである.

(平成22111日 執筆)