江戸末期、鎖国を解いた日本で最も大切だったことは「独立する」ということだった。それもそうで、当時、アジアの国は「すべてヨーロッパの支配下にあった」といっても過言ではなかったからだ。

そんな中で日本はがんばり、明治維新の混乱を乗り切り、日清日露の戦争に勝って独立した。

大変な努力で、曾祖父、祖父の人たちに深く感謝しなければならない。

しかし、その裏で「日本はヨーロッパにはめられた」という面もある。その一つが「日露戦争はなぜ始まったのか?」という謎である。

「普通」に言われていることは、

1)   当時、ロシアはシベリアからウラジオストックにでて太平洋への出口を確保し、さらに満洲を南下して遼東半島(旅順)に到り、さらに朝鮮を南に釜山まで占領しようとしていた。

2)   日本は帝国主義時代に独立を保つためには、自らも「大日本帝国」という帝国になり、周辺の帝国に対抗しなければならなかった。

このような2国間の関係から、日本とロシアがいずれ戦うのは必然的であるという見方だ。

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しかし、それはあまりに「日本周辺」だけを見ているのかも知れない。世界に目を向けてみよう.

19世紀の終わり、ドイツは「大ドイツ帝国」だったが、西にフランス、東に「大ロシア帝国」がいて、国家の運営がなかなか難しい時代だった。

もちろん、ドイツとロシアの間には「ポーランド」があったが、当時は「帝国以外はいつでも占領される」という時代だったから、ポーランドはドイツとロシアの間にあるけれど、防衛という点では無いも同じだった。

歴史をあまり知らない人は「突然、国を占領するなど、ケシカラン!」というけれど、そんな理屈が通るのは最近のことで、戦争の前は10から15ヶぐらいの「帝国」が世界を分割していて、帝国以外の国はいつでも占領される運命にあった。

事実、ポーランドはその後、ドイツとロシアに分割占領されている。

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そこで大ドイツ帝国は一計を案じた。東の大ロシア帝国の圧力を減らすために「日本を利用する」ことを考えたのだ。

まず、ドイツのエカードシュタイン男爵が日本の高官に近づき、「実はイギリスが日本と同盟を結びたいという考えを持っていますよ。もし日本がその気ならドイツが仲介します.」と持ちかける。

明治維新の大変革を凌いだ直後の日本は、仮にロシアが朝鮮を占領して釜山まで来ても、力がないので手を出せないかも知れない。そうすると大ロシア帝国はますます力をつけるからドイツにとって脅威になる.

だいたい、日本とイギリスの同盟をドイツが持ちかけるということ自体が不自然だ.

でも、この陰謀は成功した。中国で起こった義和団事件の時に、イギリス、日本などの帝国が中国に軍隊を送って義和団事件を鎮圧したのだが、その時の日本軍の規律の良さに好感を持っていたイギリスは1902年に日英同盟を結ぶ.

この方面の作戦が成功すると、ドイツは今度はロシアに働きかける.

「もし、このまま日本が発展するのを見ていたら、日本はシベリアからモスコーに攻め上がってくる.」

「ロシアがシベリア、満洲、そして朝鮮を占領しても、常識ある世界の国からは非難は起きない」

「黄禍(黄色人種が白色人種に禍をもたらす)は怖いですよ」

という3つをささやくのである。

当時の大ロシア帝国の皇帝(ツァー)は、それほど合理的にものを考える人ではなかったので、ドイツに言われてだんだんその気になった。

そこで、すでに衰えていた清と交渉して、シベリア鉄道を「清の領土を横切って」敷設し、さらにそれを旅順まで伸ばした。

さらに朝鮮を縦断する鉄道を計画していたので、ロシアが朝鮮を占領するのはまもなくと思われた。

大日本帝国と大ロシア帝国が衝突するのは目前になっていったのである.

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かくして、ドイツの陰謀が成功して、日本はロシアと戦争を始め、満洲で10万人の日本の兵士が死んだ.

日露戦争は日本のとってやむを得なかったかも知れない。また、戦争に勝利したので、結果的にはそれほど悪いことにはならなかった。

でも、少し見方を変えると、日露戦争というのは、遙かヨーロッパでドイツの国防のために日本人が満洲で血を流したとも言えるのである.

つまり「日露戦争は代理戦争だった」とも言えるのである.

まだ日本が世界の表舞台に出ていなかった当時、 日本に対するヨーロッパ外交の関心は「日本という国は慎重な国なのか、それともすぐカッとなる国なのか?」ということで意見が分かれていた。

日露戦争が終わり、その後、日本外交が少しずつハッキリした姿を現してくると、

「どうも、日本はカッとなりやすい単純な国だ」

ということが分かってくる.それが後の大東亜戦争へとつながるのである.

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外交は複雑である。

国際社会は国の利害のぶつかり合いである。

国際社会には「和」とか「信義」はない。

日本だけが「和と信義」で外交をしてもよいが、その場合は満洲で犠牲になった10万の兵士のような人が多く出る.

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このことを知らずして、地球温暖化、生物多様性、そして尖閣諸島事件を考えることはできない。

「無知でカッとなる」というのは大人の国としては少し恥ずかしい。外交とは「相手を知る」ことだ。

(平成221030日 執筆)