COP10に恨みは無いけれど、次から次と「新しい環境問題」を作って世界を制覇しようとする人たち(白人のフィクサーたち)に、日本政府が荷担するのを見ていると、日本人としてとても残念だ。
人がよいことは分かるが、あまりに軽薄な日本にがっかりする.
COP10も大詰めに来ているがどのような結論が出ようと、国際関係を正しく理解しておく人はとても大切だ。
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「生物多様性」は必要だが、多様性というのは具体的に「何万種」なのかが問題である.
現在の地球は生物種が「多すぎる(多様性過ぎる)」こと、そのことを言わずにCOP10で多様性を訴えるのは「利権」が大きいからということを前回に書いた。
今回は少し具体的にその内容を整理したいと思う.
「生物多様性」という言葉は「南の国の豊富な生物資源を安く手に入れよう」とした先進国の計画で始まった。
「邪悪な策謀」は常に「美しい言葉」で飾らなければならない。「自由」といって他国を攻め、「民主主義」といって干渉する。決して「おまえの国の資源が欲しい」とか「自分の国民の関心を戦争に向けたい」というような本音は言わない.
人類を感染症から救った抗生物質・ペニシリンが青カビから見つかり、新型インフルエンザの抗ウィルス剤・タミフルも一種の生薬である。
食品はもとより、医療関係でも有機合成化学、薬理学などが発達してもまだ生物資源は重要である.
しかし問題はある。
このような高度な薬品や食品が必要なのは先進国であり、生物資源を多く持っているのが発展途上国である.この矛盾した関係は「温暖化問題」と類似している.
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1992年にアメリカとヨーロッパは「環境」を武器にして、21世紀の国際的地位を高め、発展途上国を抑える政策を展開することにした。
その一つが「地球温暖化」で、産業の駆動力となるCO2を制限することによって途上国の発展を押さえ込みを図っている.
同じく、1992年のリオデジャネイロの環境サミットで決まった「生物多様性」では、今後の食糧とバイオ、医療の立場の強化を狙って、発展途上国の自然資源を獲得しようとした。
つまり「地球温暖化」と「生物多様性」は双子の環境問題で、いずれも次のような特長を持つ。
1) 実際には起こっていないことを起こったように言う、
2) 良い方向に行っていても悪いように言う、
3) 「まだ、科学的にはハッキリしないが、すぐ対策を打たないと手遅れになる」と脅す、
4) 先進国が得をして発展途上国が損をする、
5) 大きな利権が絡んでいる、
6) マスメディアが支持しそうな軽薄な問題である、
種の数は3000万種で、毎年絶滅する種が4万種、新種の誕生も同じぐらいだから、種の数が減っているかどうか分からない.
もし「適正な種の数」を求めるとしたら1000万種以下だろうから、種の数が減るのは自然にとっては好ましい。
科学的にハッキリしないことを予防的に防止するのは良いが、それは「起こることが悪いこと」ということがハッキリしていないと逆方向になる。
だから、生物多様性の運動の欺瞞性は明らかなのである.
(平成22年10月29日 執筆)