「秋深し隣は何をする人ぞ」

とは芭蕉の句である.なぜ、夏でも春でもなく秋なのだろうか?

夏という季節は開けっぴろげである.雨戸も障子も開けっ放しで外から見ると家の中はスッカリ見える.

人間でも動物でもそうだが、好奇心というのは「見えるようで見えない」というのに働く。まったく見えなければ好奇心も起こらないけれど、少し見えると「なんだろう?」という気持ちがわく。

夏の間、障子が開けっ放しになっているときには「隣」など見もしなかったのに、秋風が吹き障子が閉められると急に気になり出す.

それも、障子になにか人間の影が映り、それも男と女のように見えるとさらに興味がわく.それを芭蕉が詠んだのだろう.

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「ものいわば唇寒し秋の風」

これも芭蕉の句だが、やはり秋の気候は良いけれど、人間関係は難しくなる.隣は何をするのだろうかと気になっているときに、噂が飛び込んでくる.

夏にはそのまま消えてしまった噂も、秋風とともに拡大し飛散する。あぶない、あぶない、うっかりものを言おうものならブーメランのようにこちらに帰ってくる.

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芭蕉の句ではないが、

「天高く馬肥ゆる秋」

というのがある。これは昔の中国のことわざだが、馬が肥えた頃、冬に備えて遊牧民が襲ってくることからできた言葉だ。日本に渡ってくるときに「天高く」が加わったようだ.

でも、この言葉が「秋は気をつけないと太る」という意味で使われているのは理由がある。

なぜ、秋に肥えるかというと、動物にとっては「寒冷化」つまり冬を超すのは厳しい。食物も無くなり、寒く、抵抗力も下がる.

そこで、皮下脂肪をため、冬に子孫に備えるのである.その秋にダイエットをするのは危険かもしれない。つまり人間も動物で、厳しい冬を越すために体重を増やしていたかも知れないからだ。

自然の生活から離れて季節感の乏しい時代になったが、自分の体はまだまだ原始的だ。昔の俳句やことわざを見て、秋の夜長に反省するのも良いのかも知れない。

(平成221029日 執筆)

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