「結婚した女性の権利を守る」ために「男女別姓」が話題に乗っている.
それを聞いていると「結婚して姓が一つになるのはおかしい。2人はあくまでも個人個人なのだ」という理論があるらしい。そして、その主張が女性に多いのは、結婚した後の姓が夫の姓の場合が多いから「女性蔑視」の一つと考えられているらしい。
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中国は結婚しても女性も男性も姓が変わらない.だから「日本も中国のように男女別姓が良い」と女性活動家は叫ぶ。
でも、中国が男女別姓なのは、結婚した女性の地位が低く、「一緒の姓にするのはイヤだ」と男性が拒否するからだ。つまり中国では女性は「子供を産む機械」に過ぎないから、長男を生まなければ追放される。日本で言う「共白髪までの夫婦」ではないのだ。
その時に、姓が同じであると面倒だから別姓になったままである。つまり「女性は結婚しても人間ではない」というのが中国の別姓の理由である.
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アメリカに行くといやに女性が奉られる.重たい荷物をもった女性が列車に乗ってくると男性は我先にその荷物を運ぼうとする。
レストランに行ってドアーの前に立つと、男性がパッとドアーを開けてくれる.いわゆる「レディーファースト」である。
この風習は「女性は男性の付属物だ」、「イブ(人類初の女性)はアダム(人類初の男性)の肋骨から生まれた」という考えから来ている.
その証拠にアメリカでは夫の収入を妻に渡すことなど無い.自分の付属品(妻)に「生活費」を支給するだけだ。
それに対して日本では94%の家庭の妻が夫の収入を握っていた(1960年)。
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「夫婦」とはなんだろうか。日本人は次のように考える.
1. 愛し合っているだけでは夫婦ではない、恋人である.
2. 同居しているだけでは夫婦ではない、内縁である、
3. 子供を作っただけでは夫婦ではない、私生児である。
だから、最低でも結婚届を出して「同性」を名乗る.このことによって、{夫婦=一心同体の男女}の形式的な要件を整える.
そしてその後は、二人の努力で本当に一心同体になるように周囲も夫婦を尊重し、夫はその収入を妻に渡す.
ところが、
1. 形式的には夫婦であるが、その実態は単に法律的な夫婦である、
2. 子供はいるが、その実態は単にセックスと同居だけの夫婦である。
という夫婦が増えた。
結婚届を出したから夫婦になれる訳ではない。それは単に「法律上の夫婦」に過ぎない。まさか法律が人の心を完全に左右することなどできない。結婚届は愛が無くても出せる.
子供がいるから夫婦であるわけでもない。それは単に男女に生殖能力があったという証拠に過ぎない。
人間の夫婦とは「心が一心であり、生活が同体である」ということだ。外からは2人に見えるけれど、実は1人なのだ。つまり「共白髪」というのは2人が1人であることを意味している。
だから、「夫婦別姓」ということはありえない。1人が2つの姓を持つことだから、これは奇妙だ。
ところが、日本には不幸な夫婦がいる。結婚届を出しても、子供ができても、夫婦になっていない人がいる.その人たちにとっては「自分の妻」や「自分の夫」が「他人」に見えるらしい.
だから「夫婦別姓」などという奇想天外な考え方が出てくる.
私は日本の文化の方が、中国やアメリカより優れていると思う.女性は決して子供を産んだり家事をする機械ではない。人生の伴侶である。
日本の女性は家族思いで、決して自分だけが贅沢をしようなどとは考えない。だから安心して日本の男性は自分の全財産を妻にゆだねることができる。
確かに、現在の夫婦の名前は戦前の「家」の制度を引きずっている.だから、「結婚したら両性のどちらか、もしくは新しい姓」を選択できるようにするのがもっとも良い.
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「恋する」のは恋人である。「愛する」のは全ての人間同士である。そして、「一心同体」が夫婦だ.結婚届を出しているから、子供がいるから、そして愛しているから夫婦ではない。
心と生活が、一心同体になって初めて夫婦になる.
でも、不幸な夫婦関係の人もいる。法律上の夫婦で子供もいても「一心同体」ではない不幸な人たちもいる。いつまで経っても夫婦になれない人には同情する.
でも、その人たちが本当の夫婦をねたみ、「夫婦別姓」などと言って美しい日本の文化を破壊しないで欲しい。
(平成22年10月24日 執筆)