人生には年を取ると気がつくことがある。気がついてみると「ああ、なぜ気がつかなかったのだろう!」と嘆くことが多い。
そんな一つに、50才になった頃だっただろうか。私はそれまでとは違うことに一つ、気がついた。それは何かを良くしようとしたら「芋ずる式」が良いということ。
それまでの私は「欠点を直そう」とか「具合の悪いところを改良しよう」という気持ちが強かった.「講義中に教壇の机の上に胡座をかいで話をする」という苦情が寄せられると、その先生を呼んで注意をする・・・そんな具合だ。
ところがある時、あるきっかけがあって、「もしかすると、悪いことを注意するより、悪いことの正反対のことを推奨すると、悪いことが減るのではないか」と気がついた。
上の例では「大学内で教育をよくする」という先生方の活動を支援すると、大学全体がズルズルと良い方に引っ張られ、その結果として「苦情がくる先生」が減るのだ。
この考え方を学生にも応用してみた。ある学生が英語が不得意だとすると、無理に英語を教えない。その代わり、その学生が好きなことをさせて、成果がでると英語の論文を出させる.
もちろん、最初は英語を書けないから、なにも文句を言わずに私が書いてあげる.そうこうするうちに、ある時に学生が「先生、自分で書いてみたいと思うのですが」と言ってきた。
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これを私は「芋ずる方式」と呼んだ。組織でも「悪い部分」を治そうとせず、「良い部分を伸ばす」ことによって、その組織全体がズルズルと良い方向に引きずられ、悪いところが減ってくるのだ。
一人の個人でもそうで、良いところを伸ばしていくと悪いところが少なくなっていく.少なくとも目立たなくなる。
その後、私が「環境」という問題に本格的に取り組み始めたとき、たとえば「ゴミ」という社会の問題を直接的に「ゴミを減らそう」とすると不合理な方法を強引にやることになる。
でも「もともとゴミが出る社会とはどういう社会か」、「どうしてゴミが環境を破壊するのか」と考えると、よりよい社会になり、かつ自然とゴミが問題にならないと思うのだが、これは「芋づる方式」に着想し、実行してきたことによる。
社会を見てみると、「欠点に気がつく」人が多い。だから、「**をしてはいけない!」ということが増えて社会が暗くなるし、前進力を失う.
私たち、大人の大切な役割として「子供たちが学校をでたら働くところがある」という社会を準備することだが、これは社会が縮こまると不可能になる.
可哀想に、今の若者は日本社会が「欠点を取り除く」というのに一所懸命だったので、仕事の数が減り、働く場所を探しあぐねている。
大人は就職氷河期とか気軽に言っているが、夏の暑いときに胸にいっぱい不安を抱えて背広を着て、汗まみれになって就職活動をしている学生を見ると、こちらの胸も痛い。
ゴミがあふれるなら別だが、溢れてもいないのだから、もう少し積極的に社会を運営する責任が私たちあるのではないだろうか?
(平成22年10月19日 執筆)