「生物多様性」が大切だと力説する人たちの心の中はどのようなものなのだろうか?とテレビを見て釈然としない。
現在の「地表」には多くの「生物」がいて、「多様」であることは分かる.生物の種の数は3000万種から5000万種と言われる.
そして、「生物」が「多様」であることは「大切」であると言う.「大切」ということになると「誰から見て大切なのか?」という疑問がわく.
かってに大切と決めつけては困るのだ。
地球の気温が適当(もう少し温暖化して)で、CO2があり(もう少しCO2が多く)、水と太陽があれば「生き物が地表にいる」という点ではなんの心配もない。生態系が破壊されることもない。
もし今の生物の半分が絶滅すれば、次の生物が誕生する.そのようにしてきたのが地球であり、そして人間がいるのだから、絶滅自体はなにも問題は無い。
「人間ばかりが多い」というのも「生物界、生態系」にはなんの問題も起こさない。これまでも「もっとも強い生物」がこの地表を占有してきたのであり、人間が多くても問題は無い。
たとえば、東京23区という広大な場所は、すでにすっかり人間だけになり、いわゆる生態系はまったく変わっている.でも、そこに住む人間が苦しんでいるということはない。
東京には生物がいないが、かつて武蔵野にいた生物が「文句をいっているか?」ということになると、運命に従って他のところへ移ったか、絶滅しただろう.でも、強いものが繁殖すると、他のものが滅びるのも自然の摂理と叡智だ。それは地球と生物の歴史だから、「良い悪い」、「大切かどうか」とは関係がない。
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「生物多様性が大切だ」と言っている人で「大人(普通の大人ぐらいの思考力がある人)」なら、次の2つの内のどちらかだろう。
1) 生物多様性で利権を取る、
2) 自分は東京に住んで快適なので、時には田舎に行きたい。
今、名古屋で開かれているCOP10に関係している人はほとんどが利権派で、お金を儲けている.それだけが目的だが、言い訳が上手いからこの人たちと話をしてもなにも進展しない。
議員さん、学者、NHKなども同じで、「みんなが言うことを言っておけば良い」ということで「日本のため」とか「人類、生物のため」と思っているわけではないので、なかなかやっかいだ。
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生物は人間が決めて多様になっている訳ではない。生物間の競争が激しくなると少しでも有利になろうとして進化し、多様になるのだ。「殺し合わないで生物が仲良く」ということなら、多様にはならない。
人間の数が「多すぎる」ということもない。生物というのは「食べ物がある範囲で繁殖してよい」というのが鉄則で、食べ物があるのに食べず、繁殖できるのに繁殖しない方が異常である.
その点では現代文明が生んだ「ダイエット」とか、「同性結婚」というほど生物の原則を破壊しているものはない。
人間が地球を痛めているということもないし、「地球に優しい」と言葉自体が欺瞞的な社会を示している.首相が国会で「地球に優しい」と言っているが、「地球に優しいってなんですか?」と聞いて答えられる人はいないだろう.
この世に騙し、欺瞞、不誠実、口だけ・・・などがあることは分かるが、自分の人生を送る日本がこれほど不誠実であると、少し居心地が悪い。
もう少しまともになってもらえないだろうか?
(平成22年10月16日(土) 執筆)