名古屋で「生物多様性の国際会議」が行われていることもあって、このところ、「生物多様性」という言葉が氾濫している.

でも、かつてのように「ゴミがあふれる」、「ダイオキシンは猛毒だ」、「温暖化地獄」の騒ぎとは違って、少し落ち着いているようだ.

多くの人が経験を積むことによって、環境というものはなかなか複雑なことだとか、マスコミは表面的なことしか伝えてくれないということを知ったからでもあるだろう。

生物多様化についても、「生物多様化ってなんですか?」、「なぜ、生物は多様が大切なのですか?」というような踏み込んだ質問を受けるようになった。

もう少したつと、「多様性と言うけれど、何万種ぐらいが適当なのですか?」という質問がでるだろう。そうなれば日本の環境政策もまともになるに違いない。少なくとも「レジ袋追放」のような「幼児性政策」は絶滅するだろう.

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世界の生物種は確実には分からないが、5000万種ぐらいとも言われていて、また日本は温帯の島国であることもあって、生物種は多い.

先日のブログに書いたが、ある生物学者に「人間にとってどのぐらいの生物種が適当なのでしょうか?」とお聞きしたら、「わかりません」との答えだった。

「地球にとってどのぐらいの生物種が適当なのですか?」という質問は成り立たない。地球というのは星だから、生物がいない場合もあれば、いる場合もあり、どちらが「適当」などという価値判断は存在できないからである.

それでは「生物にとってはどうか?」というと、これも生物によって違うが、一般的には「多様性は困る」ということだ。

現代の地球上の生物が5000万種にもなったのは、生存競争が激しく、少しでも遺伝子を変えて生き残りを図らないと絶滅してしまうからである.

だから、生物種が多いということはとりもなおさず、個々の生物に取っては「困ること」であり、「楽に生活をすることができない危険な環境」ということになる。

多くの生き物が楽しそうに生きているのを見て「素晴らしい!」と思うのは生物の生活を知らない人の錯覚に過ぎない。

地域ごとの生物の分布を見てもそれが分かる。シベリアのように生物が住みにくいところは樹木の種類も動物も少ない。あまり争ってシベリアに住んでも快適では無いからだ。

一方、アマゾンに行くと無数の生物が混み合って生活をしている。赤道直下で温暖であり、水も豊富だから生物にとってはとても都合が良い。だから、何とかして隅の方でも生きようとする。

現在の地球は寒冷化しているから、温暖化さえすれば生物は多様になる.

日本は生物にとって少し寒いが、それでも水が豊富だったり、樹木が多い(国土面積の3分の2が森林という国は世界で3カ国しかない)ので、東北より北を除けば生物に取って快適である.

それに日本は大陸から少し離れ、温帯の島国であることから、歴史的に寒冷化したり、温暖化したりして、そのたびに生物種が増える. 温暖化すると南の生物がやってきて、そのうちのいくつかはウッカリ日本に定着した.

寒冷化すると北の生物が来て、これも定着する.だから日本の生物は豊かである.

つまり、日本が「適当な気象変動」、「適当に隔離されている」、「凍えて死ぬことが少ない」、「のどが渇かない」というのが生物の種類を増やしている.

でも、日本の生物種が多いこと、豊かな自然に見えることは個別の植物、動物にとっては辛いことなのである. 生物多様性を「人間から見るか」、「生物から見るか」、それとも「地球から見るか」によって大きくその結論が変わる.

それが大人の環境論である。

(平成221013() 執筆)