1917年、ニコライ二世が統治していたロシア帝国に革命が起こり、あっという間に共産主義のソ連邦が誕生しました。

すでにマルクスが共産党宣言を出したのが、ロシアに革命が起きたときから遡ること、およそ70年前の1847年ですから、「そうか、ようやく新しい時代が来たか!」とみんながソ連邦の誕生を喜んだものです。

もともと、「ロシア」というのは固有名詞ですが、「ソビエト社会主義共和国連邦」という名前にはどこにも「固有名詞」が入っていません。

名前というのは固有名詞ですが、ソビエトという名詞はロシア語では「評議会」ですから、正しく言えば「社会主義評議会共和国連邦」ということになります。

つまり、ソ連には名前がなかった・・・単に社会主義の国の連合ということ・・・ですから、「ソ連」という国ではなく、単なる団体の性質を示した物でした。

これも画期的で、全ての人類は、国家や民族ではなく社会主義のもとで一緒になり、労働し、生活し、楽しもうではないか!という理想郷だったのです.

この考え自体が、一つの宗教でしたから、政治体制が人の心を支配します。そこで、共産主義とキリスト教などの宗教は相容れないのです。

そして、この「ソ連」の考えにすっかり感激したのが、当時の「知識人=インテリ」で、フランスの作家、ロマンロランのような人から、日本の知識人、さらには共産主義が嫌いなはずのアメリカのインテリまで、多くの人が「共産主義は素晴らしい」と思ったのです.

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ところが、その後のソ連の動きを見ていた人は徐々に「なんだ、こんなことだったのか」と落胆し始めます.

階級制も身分制もなく、みんなが「よい子」で楽しく生活ができるというはずだったのに、政治家同士は殺しあいを始める、すこしでも意見を言うと「反共産的」と言われてシベリア送りになる、ロシアの人が威張っていて周辺の共和国の人たちは圧迫されるという具合で、全然、言っていることとやっていることが違うのです.

私の何回か共産主義の国に行ったのですが、なにしろ「イヤな気分」がしました。何かというと「共産党員」がでてくるのですが、共産党員が出てくれば特権をふるって、ある時は解決し、ある時は圧迫されるのです.

まるで、ハッキリした2つの階級・・・共産党員と庶民・・・がいるのです。

そして1990年、つまり共産主義国家がこの世に登場してからたった70年、ソ連邦は崩壊して共産主義は実質的に終わりを遂げました。

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いろいろな評価があると思います.でも、私は次の3つが未解決だったと思うのです.

1.   大脳皮質で考えたことは正しくない、

2.   人間に階級制が必要であるかどうかの検討が不十分だった、

3.   人間は「よい子」ではない、

かくして共産主義はこの世から消えるか、または消えかかっているのですが、それでも、この3つは見直されていません。

たとえば、「大脳皮質(頭)」で考えたことは正しくないのに、「頭で未来を予想する」ということがまだ行われています.人間の大脳皮質は「現在が正しい」と錯覚するので、その必然的な結果として判断が間違うのです.

また、日本に天皇陛下がおられたので日本が繁栄したのですが、それは「人間には階級制が必要だから、天皇陛下だけが別格なら、庶民には階級制が要らない」という優れた制度でした。

さらに、人間の心には邪悪な部分があり、そんなことは当たり前なのに「よい子」の集団であるという無理な設定も共産主義を運営する上では大きな障害になったのです。

共産主義が崩壊して20年.私たちはなぜ共産主義が崩壊したのか、なぜ知識人という人たち(大脳皮質を中心に考える人)があれほど大きく間違ったのか、なぜ、人間社会には階級制ができるのか、などについて、深く、楽しく、思考を巡らせたいものです。

(平成22915日 執筆)