アメリカやイギリスはアングロサクソンという民族が国家を作っている.

もともとアングロサクソン人は、アングリア(イングランド)に住んでいるサクソン人であり、サクソン人とはアングリアに移り住んだゲルマン人だから、元をたどれば彼らはゲルマン人である.

でも、このシリーズは「ゲルマン人の素描」とは言わずに、アングロサクソン人とした。その理由は次第にハッキリしてくると思うが、サクソン人はアングリアに移り住んだ後、ある特別な性質を身につけるようになり、それが300年間にわたって世界中で特徴ある行為をしてきたからである.

彼らは何をし、どんな性質を持っていたのか、そのことを書きたいと思う衝動が私の心に芽生えている.

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・・・愛する妻よ。私は今、競り(セリ)に出されることをあなたに悲しみをもって伝えようとしている。

お父さん、お母さんに私の愛情を伝えて欲しい。そして、私に代わってさようならを言って欲しい。

また、きみに思う.この世界で君に二度と会えないなら、天国で会いたい。

ああ、私の愛する妻よ、子供たちよ・・・

(1852年 アメリカ。奴隷の競り市から)

 この手紙はアメリカ、つまりアングロサクソンの新天地にアフリカから連れてこられた黒人奴隷が出したものである。

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 アングロサクソン人はイギリスに移り住んだが、日本の北海道より緯度が高く、気候が不順で寒冷だったために、牧畜に力を入れた。

 また、厳しい気候の中で生活をしている内に、優れた生命力を身につけて、可能な限り自分自身は働かずに、家畜に働かせるという術を学んだのである。

 そのイギリス人がある時に西に向かって大西洋をこぎ出し、ついに到達したのがアメリカだったから、アメリカでも彼らは「自分たちはできるだけ働かずに、誰かに働かせよう」とした。

 一番、手っ取り早いのはアメリカに住んでいたインディアンだったが、彼らは新しく来たアングロサクソンに使われるのを嫌って、死を選んだ。

 アングロサクソンが殺戮したインディアンの数は、600万人と言われる.長い間、住んでいた土地に見知らぬ白人がやってきたので、インディアンは必死に抵抗したが、近代火器の前にほぼ全滅した。

 そして、アメリカのサクソン人、つまりアメリカサクソン人と言うべきなのかも知れないが、彼らはアフリカにいって黒人を掠い(さらい)、船に乗せてアメリカ本国に次々と運んだ。

 連れてこられた奴隷でアメリカに上陸した人の総数は1500万人と推定され、アフリカからアメリカに帆船で運ばれる途中で、病死、刑死、そして船が重たいからと言って海に捨てられた人の数は500万人と言われているから、アフリカを出発した奴隷は総計2000万人ぐらいだ。

 有名なリンカーンの奴隷解放の時に解放された奴隷の数が400万人だから、おおよその数は合う。

(インディアン600万人、アフリカ奴隷500万人の合計1100万人がアメリカのアングロサクソンが直接的に殺害した数だ)

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 フランス革命で「自由、平等、博愛」が宣言されたのが1789年だから、この絵はそれから60年以上経っている.

 アメリカの独立はフランス革命の影響を受けているが、それは白人だけだった.それもそうで、フランス革命の時に打ち立てられたと日本の学校で教えている「平等」というのは「白人男性」だけのもので、フランス人ですら、女性参政権は1946年である.

 近代暴虐の歴史、それはアングロサクソンとその周辺の民族によって世界全体にもたらされたものである。そしてそれが理解されていないと、現代のサミット、イラク戦争、そして温暖化などを正しく解釈することはできない。

 彼らは日本人とは大きく異なる、特殊な民族なのである.

(平成22913日 執筆)

(注) このシリーズのいくつかには西尾幹二先生を中心とした数人の歴史家のご著書、ご講演などから参考にさせていただいている。