教会で行われた結婚式に出ると、神父様が「愛は限りなく、愛は裏切らない・・・」と若い二人の前でお話をされる.

そうだな・・・と思いながら聴いていると、現代の社会に生きる人の姿が急に目の前に浮かんできた。

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人間は動物だから、ある種の戦闘態勢にある。「生きる」ということはそれほど容易なことではないので、動物の多くは「戦闘」をしながら生涯を終える.

平和が尊いというのはいかがわしい.動物と平和というのはそれほど似合うものではない。

だから、学校ではすぐ成績を競ったり、甲子園を目指したりする.

私が「たかが野球、されど野球」という言葉が好きなのは、前半が頭脳をもった人間が頭の中で考えるしらけた結論、後半が夢と愛と性をもった人間が体の中から吹き出してくる情熱の結果だ。

野球など実にくだらない。ピッチャーまでの距離、ストライク3つで打てなくなったり、ボール4つでこれもバットを置くなど、何とでも決めることができる。

そして、ゲームが終わっても別段、ご飯にありつけるわけでも、女性を獲得できることでもない。

これも、人工的なリーグというのを作り、そこで試合数や計算の仕方を人工的に決めている.さらに野球は「盗塁」、「アピールプレー」など随所に「ズル」を認める規則があり、正々堂々たるスポーツでもない。

だから戦前は朝日新聞が「野球排斥キャンペーン」を続けていた。

朝日新聞は「報道機関」と思えないほど汚れている.日本人がまだ「武士道」の気持ちを持ち、「正義」を重んじている時には、汚い手口で「野球排斥」を唱え、早稲田大学、慶応大学を口汚くののしった.

そして戦後、日本がアメリカに占領され、精神的にもアメリカナイズされると、今度は全国高校野球のキャンペーンを行い、野球は教育に大きな貢献をすると国民に説教をするような新聞だ。

まったく「時代迎合型」、「やくざ型」の報道機関である.

野球は人間が戦争をしたいという気持ちを代わりに満足させてくれる.そして少しのズルがあるのも、人間味がある.

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神父さんの言葉を聞いていたら、「そうだな、自動車でもなんでも物を作ろうとすると資源がいるが、愛を大きくするには何もいらないから」と思った。

環境問題などが起きるのは、日本人が愛を大切にするのではなく、自動車が欲しいからだろう。だから資源は有限と恐れる.

でも本当は「新車を買うより、愛が大きくなる方がそれはずっと人生は充実する」と思う。

毎日のように、何かに追い立てられるように時を過ごし、何かに憑かれたようにお酒をがぶ飲みしている生活では、愛を大きくする資源を私たちは心の中に持っていないのだろう.

もう、1月も「月」を見たことがない。もう、3月も「波が寄せる音」を聞いていない.そんな生活では「資源の要らない愛」を大きくすることはできないのだろう。

「愛は犠牲である」と神父さんは続ける。本当だ。自分が良くなろう、得をしようと思わないという時間を過ごさないと愛はやってこないし、愛の中で生活することはできない.

(平成22911日 執筆)