先日、生物種をご専門になっている名古屋の先生にお会いしたので、その際、外来種問題についてお話をさせていただきました。
このような難しい問題を正確に知るためには、長くご専門として研究している学者の方にじっくりお話を聞くのが一番です.
「生物の種というのは何1000万種と膨大ですが、先生は生物の種の数についてどうお考えですか?」
とお聞きしましたら、
「種の数がどのぐらいが「良い」かは分かりません。すでに地球上の種の数が「多すぎる」かも知れないし、「少ない」かも知れません。第一、人間の尺度で「数が多いとか少ない」というのを「良い、悪い」と判断することはできません」
と言われました。まことにその通りで、生物の種が爆発的に増えたカンブリア紀は「種の数が少ないから、新しい生物種が生きる余地があった」ということでもあったからです.
種の数が少ないということは自然の中で「あいているアパートの部屋」が多くあるということですから、新人には都合が良いのです。その結果、新しい種が次々とできて生物は繁栄しました。
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武田「日本では外来種で、種の数が減ると言われていますが、先生はどのように考えていますか?」
先生「外来種によって生物全体の種の数が減るか増えるかは不明ですが、日本のように島国で外から来る生物が少ないところでは、種は細かく分化しているので、その分化した種が絶滅することがあります。
つまり、外来種の問題は生物の問題ではなく、我々、研究者にとっては長年、観測してきた生物がいなくなるので、辛いという問題です。」
と最初からビックリするようなことを言われました。
武田「そうすると、少し失礼な言い方ですが、外来種の問題というのは、生物学者が研究対象を失うという問題ですか?」
先生「はい。日本のような島国では、分化が進んでいて、一つの谷にいる生物と、別の谷にいるものも違うので、環境と生物種の研究にはもってこいなのですが、だからといってそこにいる種が絶滅したから自然に影響があるということではありません。」
武田「分かりました。もう一つ、私は日本の外来種問題というのは「日本の大陸化」でもあると思っています。大陸では陸続きですから、昔から次々と外来種が来るから、外来種問題と言っても日本とはだいぶ違い、それに近いことが日本で起こりつつあると言うことでよいでしょうか」
先生「おおむね、そう考えて良いと思います.」
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私も学者なので、ときどき誤解を受けることがありますが、社会のほとんどは「有利不利」を問題にするので、「その人の言うことは、その人に有利になることだ。まさか、自分に不利になることを言うはずはない」というように考えます.
ところが、学者は「自分の損得より、学問的な正しさ」を言動の基本としていますから、この先生のように、(世間的には)
「外来種の問題は、自分の研究対象が無くなること」
と言われ、(学問としては)
「自然から見れば、分化した種が絶滅するのがどういう影響かは分からない」
とお答えになるのです.
先生がご自分が長年、研究されている種が外来種のために無くなるのはきわめて困ることでしょう.もう数年、観察すれば新しい事実を発見し、論文を書き、それが社会で評価されて有名になるかも知れないからです.
ところが、この先生は、ご自分の研究対象を失うかどうかより、生物学として正しいことを発言しようとお考えだったのでしょう.「外来種問題は研究者の問題であって、自然の問題ではない」とお答えになったのです。
おなじ学者として、とても感心しました。私もこのような問題で時々、批判されることがあります。「武田の言っていることはつじつまが合わない」と言われるのですが、科学はつじつまが合わないことが多いのです。でも、それをそのまま言うのが科学というものです。
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科学としては外来種の問題というのは、次のように考えられます.
もともと自然の中の生物というのは、さまざまな「事件」で常に競争にさらされ、新しい種が誕生し、なにかが絶滅するものです。その「事件」とは大地震による地殻変動、気象変動、隕石の落下、台風、日照り、都市化などです。
寒くなれば北の方から外来種が侵入しますし、浅瀬が水につかればそこに適した生物が繁殖します.そして「事件」が自然現象であっても人間というある生き物の活動でも、自然はまったく同じように対応します。
人間の活動もまた自然の一部ですから、当然かも知れません。
たとえば、東京のように見渡す限りのコンクリートジャングルにしてしまえば、かつて武蔵野の森に生きていた生物は全滅しますが、それはそれなりに自然なのです.
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先生は外来種の話が一段落した後、次のように言われました。
先生「生物のある特定の種が絶滅することは、自然から言えば何も影響はありませんが、これまで人間が生物の種を絶滅させたという点では、乱獲、飼育、スポーツなど「人間の楽しみ」で絶滅するのが大半で、外来種など人間以外の生物同士の戦いで生物が絶滅するという影響は小さいと思います.」
と言われて、2,3の例を話してくださいました。
片方で東京のような大都市を作って生物の生存圏を脅かし、片方で毛皮を取るとかスポーツ狩猟などで生き物を殺している人類が、生物同士の戦いになる外来種の問題に一所懸命になる滑稽さに、先生は苦々しい思いをされているように感じました。
道路を舗装すると大量のミミズや細菌が死滅します.でも、それは私たちの目には見えないし、ミミズは汚らしいので関心がないというのが本当のところではないでしょうか?
先生は最後に、
「人間がある生物を、可愛いから、好きだからとか、大切だからといって、特別視するのことに私は賛成できません」
と静かに言われました。
科学が日常生活に深く関わってきた現代、そして多くの人が意見を述べる現代、科学と社会が異なる原理で動いていることが理解されるまでには長い道のりがいるのかも知れません。
(平成22年8月29日 執筆)