なんでも相手の身になって考えるというのは、言うのは易しいのですが、本当は難しいものです。

新幹線の自由席に乗るときには、「早く並ぼう」と思うのが人情ですが、考えてみると、自分が座れば誰かが立つのですから、「並ぶ」というのは「座りたい人の座席を自分が取る」ということでもあります。

その人は年老いているかも知れないし、体の調子が悪いかも知れないのです。

まあ、そこまで気が回ると「回りすぎ」かも知れませんが、なんでも自分、自分と思っていると考えが狭くなります.

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このようなことは歴史的にもあって、江戸時代の人はどう思ったかとか、明治維新の人はどうだったかと考えると、日本の近代史も、ずいぶん見方が変わってきます.

ペリーの乗った黒船が突然、浦賀沖にやってきて、日本に「開国」を迫ります.今はグローバル化の時代ですから、「開国」は当然のように思いますが、そうでも無いのです.

独立している国は、その国の方針というのがあり、江戸時代の日本は外国とほとんどつきあわないという政策(鎖国)を取っていました。それにはいろいろな事情があったのですが、いずれにしても「それがよいことだ」と判断していたのです.

わずかに長崎に「窓口」があって、その窓口を通じてだけ、外国と話をしたり、わずかな物品を交換したりしていたのです.

「鎖国」は日本にとっても不都合なことでした。なにしろ食糧でも生活用品でも、全てのものを「自前」で調達しないと、貿易が無いのですから、外国に頼ることもできないのです.

でも、それも立派な国の方針であることは確かです.自分の国は自分でやるというのを「悪い」とすることはできません。

一方、アメリカはクジラを追って太平洋を走り回っていたら、日本にぶつかったので、捕鯨船が立ち寄る場所が欲しく、それで小笠原諸島を取り、沖縄(琉球王国)に強硬に上陸し、そして浦賀に来たのです。

彼らの言い分は、

「俺たちは捕鯨船の寄港地が必要なんだ。港を開けろ!」

ということでした。そしてそれは「平和」のうちに交渉するのではなく、黒船と砲弾、それに軍隊をもって威嚇したのです(砲艦外交).

だから、「平和主義」の人から見ると、「ペリーの浦賀来港」というのは実に軍事的、強圧的、差別的で許されるものではありません。

まず、第一にこのことをハッキリさせなければならないし、その当時の日本人がどんな感じを持ったか、「相手の気持ちになってみる」ことから始めたいと思います.

「太平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず」

とペリーの黒船とそれに右往左往する当時の日本人を詠んだ狂歌を「日本人は田舎ものだ」と蔑視する「日本人」がいますが、「平和のもとで豊かに暮らしていた日本人は、これから訪れる戦争の時代、強制的に戦争に巻き込まれる時代に不安になった」と正しく解釈するべきと私は思います。

自分をおとしめ、日本人を軽蔑し、白人を崇拝するという現代の日本の尺度から見るのではなく、当時の日本人の身になって考えてみたいものです。

(平成22826日 執筆)

(注) ペリーが小笠原の領有宣言をし、沖縄には強行上陸して軍隊を首里城まで進め、本土は浦賀に停泊したのは、単に「本土には武士がいる」という理由に過ぎません.つまり「武力がなければ勝手なことをする」という時代だったのです.「軍隊がいない」というのは当時は「いつ外国人に殺されるか分からない」という時代だったのです.