「太平の眠りを覚ます上喜撰、たった四杯で夜も眠れず」
とは1853年に浦賀に来たペリーの黒船(蒸気船(上喜撰:お茶の名前))が4隻(四杯)現れ、江戸の人がビックリしている様子を唄った狂歌である.
ペリーはまず沖縄の那覇に来て、琉球王国が上陸を拒否したが強引に首里城まで軍を進めて国王に謁見している.その次が浦賀だ.
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それから約150年.日本はアジアの一国として、孤軍奮闘してきた。
ペリーは那覇に到着する前に小笠原諸島を発見して、ただちにアメリカの領有であることを宣言したが、それに対して、イギリス、ロシアがすぐ異議を唱えている。
この時代、ヨーロッパとアメリカが全世界を支配しようとしていた頃であり、「ヨーロッパとアメリカだけがこの世にある「国」であり、彼らの軍艦が発見したら、そこが誰かの国であれ、何であれ、発見した軍艦の国のものである」というような「乱暴な白人支配の時代」だった。
なにしろ、アジア、アフリカ、中南米など世界の大部分の国は、ヨーロッパの数カ国に支配されるというとんでもない時代だったのだ。
そして、彼らはついに150年前に日本にその牙を向けたのである.
ペリーが浦賀に来た直接的な理由は西太平洋の捕鯨に関係していたが、時代の流れとしてはヨーロッパとアメリカが日本を植民地にしようとしていた一つの出来事だった。
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つまり、
1) ヨーロッパとアメリカは世界の全ての国を自分たちの植民地にしようとしていた、
2) 植民地にされると、技術者が手首を切られようが、奴隷として連れ去られようが彼らのしたい放題になる、
3) 日本は地理的に、中国、ロシア、アメリカという3つの大国に囲まれている、
という中で、150年間、日本は世界でほぼ「唯一」と言える「有色人種の独立国」として頑張ってきた。
吉田松陰が松下村塾を引き継いだのが1855年、太平洋戦争に負けたのが1945年、今がほぼ2005年だから、この150年の内、最初の90年が軍隊で、後の60年が産業で、日本は世界の流れに対抗してきた。
ものすごく頑張った。我々の父祖は死んでもがんばり続けた。
有色人種で、白色人種にまっこうから対決し、ほぼ勝利を手中に収め、150年間も頑張ったのは日本だけだった。
軍国主義を支持するわけでもない。日本株式会社を褒めるわけでもない。
それでも、近代の世界に白人の暴虐が暴れ回ったとき、日本が有色人種、唯一の「白人と対等な独立国」であったことは紛れもない事実である.
おそらく、この150年間に起こったこと、日本がやったことの全てはより大きな意味で「容認され、賛美される」べきものだろう。
その中には間違いがあったかも知れないし、行き過ぎもあっただろう。でも、大きな世界史の流れの中で、「肌の色に関係なく、この世界は運営されるべきだ」ということを日本ほどハッキリと、そして多くの犠牲を払って示した国はない.
そして、150年のがんばりの疲れが日本にでているように思う.それはそうだろう。これほど頑張った国は世界でもまれだからだ。そういえが、アレキサンダー時代のマケドニアを思い起こす。
トインビーの言うとおり、四杯の上喜撰で目を覚ました日本はそれから150年間、必死に崖を登り続けたのだ。
疲れるはずだ。そろそろしばしの休憩に入る時かも知れない。
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ただ、これほど誇り高い、世界をリードしてきた日本に、なぜ、浅薄なインテリが日本人に多いのか、大きなことをしている時に生じる小さなことだけを取り上げて日本を辱める「知識人」がいるのか?私はさっぱり理解することができない。
今日は8月18日だから占守島(「せんしゅとう」と呼ぶ)の戦闘のことを書くべきだったが、あえてこの戦いを風化させて、より大きな展望を示したくなった。
(平成22年8月18日 執筆)