8月15日、今年は書くまいと思った.
すでに終戦後65年を経て、「風化させるべきは風化させた方が良い」との考えもあった。
人間は時間とともに消えるものだ。「戦争を風化させるな」と言われるが、風化こそが人の救いのように思える。
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海軍少佐 富澤幸光、神風特別攻撃隊第19金剛隊でフィリッピンに出撃、戦死。昭和20年1月6日。北海道江差町出身23歳。
「母上様、幸光の戦死の報を受けても決して泣いてはなりません。
靖国で待っています。きっと来てくれるでせうね。敵がすぐ前に来ました。母上様の写真は幸光の背中に背負ってゐます。」
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広島二女、2年1組。昭和20年8月6日、原爆にて全滅。
倉敷昭和君 皆実小6年.同じく8月8日死去.
「僕はもう生きることはできない。お姉さんだけは防空ごうに入って。泣いたら、僕も草葉の陰で泣くようになるから、いつも笑ってほしい」、最後に「天皇陛下万歳」を三唱して息絶える.
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ある若者は特攻で死んで靖国に帰り、ある子供は夢はかなく原爆で死んだ。日本の遙か南方、ガダルカナルでも20693名の将校・兵士が命を落とした.
それぞれの死が今の日本の礎となり、そして我々がここにいる。誰が何をした、誰がどうしたかはまったく関係がない。このようにして時が過ぎ、一つの民族と一つの命が流れていくのだ。
ガダルカナルで、特攻で、そして広島で亡くなった方がいて、そして私がいる。私はその方たちの万分の一もできないけれど、今日を生きたいと思い、私自身の小さい思いを感謝の気持ちをもって今朝、次のように書いた.
「今日一日、無事に終わった。さあ、寝よう。明日が来るとすれば、それは幸運だ」
もう、風化させよう.明日からは冷静にあの戦争を見つめ、考えてみたいと思う.
(平成22年8月15日 夕刻 記す)