人間が歴史を認識する情報蓄積および処理機能は7つあるが、ほとんどの人は大脳皮質による後天的に獲得した具体的知識と、同じく大脳皮質による論理展開によって、歴史を整理し、体系化し、その本質を見極め、さらに認識できると考えている。このように大脳皮質のみを重視した歴史観が全てであるという錯覚をもたらすのは、知識を蓄積し論理的に組み合わせる大脳皮質の欠陥そのものにある。従って、この頸城から解放されるには、大脳皮質の記憶についての認識を深める以外にない。
まず、3つの例を挙げて、大脳皮質の思考に関する欠陥を示したい。
太陽は東から昇って西に沈む。従って、「万人が繰り返し目で観察できるものは事実である」とすると、太陽は地球の周りを回っていることが事実と考えられる。しかし、よく知られているように地球の周りに太陽が回っているのではなく(天動説)、太陽の周りを地球が回っているのである(地動説)。天動説の誤りが発見されたのは、コペルニクスの数学的計算と、ガリレオの望遠鏡による観察によった。つまり、人間の目と脳の働きでは「目で見えるもの」が「事実ではない」ということを検証することが出来ないことを示している。
第二の問題点を同じく太陽の動きを例にとると、太陽は毎日、東から昇って西に沈む。このことも太陽が動いて見えると同じように万人が毎日観察してもかならず太陽は東から昇って西に沈んでいる。その点では「事実検証」は明確である。
しかしかつて地球が平らと考えていた。万有引力が発見されるまでもしも地球が丸かったら下にいる人は宇宙空間(奈落の底)に落ちてしまうので、そのようなことは合理的には考えられないので、平面であるとするのは正しい。
そうなると西に沈んだ太陽が東に戻るためには、地下のトンネルを潜るか、あるいは北の方を見えないように夜のうちに移動するしかあり得ない。太陽が地下のトンネルを通っているというのも考えにくいし、そうかといって北の方を回ってもあれだけ輝いているから夜が明るくなるはずだ。
太陽が西に沈んだだら、次の日は西から上がるはずなのに、なぜ東から上がるかということに対して、地球が平らだと思っていた人は、「太陽は毎日、東の土から出来て、空に昇り、西に沈んで土に帰る」と考えた。これで完璧につじつまがあるからだ。
この話は、私たちの脳には欠陥があり、そのうちの二つ教えてくれる。
一つは、大脳は「事実を見分ける力はなく、それまでに自分の頭脳に入っている情報とのつじつまが合うものを事実と思う」ということで、いわばあくまでも「自己中心的」である。脳は自分の生存を第一と考えるところだから、自らの脳が納得しないと事実とは認めない。ところが、自らが納得するということは他ならず、「それまで自分の脳にある情報と一致する」ということなので、どうしても保守的になるのである。
もう一つは、この話は多くの現代人は答えを出すことはできない。それは「地球が円い」、「太陽は大きな星だ」、「毎日、同じ太陽が回っている」という「先入観」が強く、なかなか当時の人の頭になることができないことを示している。「地球はかつて平らだと思っていた。その時代の話ですが」と断っても実は、その時代の頭にはなれない、つまり現代の私たちは現代の「常識」の範囲を抜け出すことが極めて困難だからである。
もう一つ、歴史的に有名なダーウィンの進化論の時の話だが、ダーウィンが「ヒトはサルから進化した」というと、それについての猛烈な反発があった。それまで人間は神に似せて作られた尊厳ある存在だとすっかり錯覚していたら、自分たちより劣ったサルが祖先ということになって、それを納得できない。そこでダーウィンが「勇気を持って見なければ真実は見えない」という趣旨のことを言っている。
このような場面には日常生活でも多く経験する。かなり強力になにかを主張しているのだが、よくよく聞くとそれは当人に有利になることだという場合がそれに当たる。
この3つの大脳皮質の特徴(欠陥)は、歴史を認識するときに特に重要な役割を果たしていると感じられる。「調査や遺跡のような目で見ることが出来るものを信用して、疑わないこと」、「現在の自分の頭脳にあらかじめ入っていることとの間に矛盾が少ないことを事実として選択すること」、それに「自らが有利になることを真実と思いがちなこと」である。
歴史的事実は記録や遺跡などでしか確認することができない。自然科学なら実験という手段があるが、歴史的事実はあまりに舞台が大きいので、実験をすることは難しい。今後、コンピューターが極端に発達して、人の心や気象など全ての状態を再現することができれば実験も可能になるかも知れないが、とにかく、今はできない。
だから、第一の欠陥(見た物が事実)を克服するのが難しいし、原理的に不可能とも言える。それと同じように、現在とかなり常識が異なり、さらにもともと頭脳へのインプットが違う歴史を現在の常識で解釈することになり、さらに日本人が日本の歴史や近隣諸国と関係する歴史的事実を解釈するときにはさらに第三の欠陥も加わる。
大脳皮質にある情報とその論理的産物をもって歴史的認識を求めると、大脳皮質以外の6つの情報との関係が明らかでは無く、さらに大脳皮質の情報処理の3つの欠陥によって、「事実に基づく歴史的認識は不可能であり、それが可能なら可能な道筋を厳密に示してからの方が意味がある」という結論に達する。