教育基本法には、「知識や技能」はそれほど強調されていない.真理を愛したり、社会の一員となるには学問がいるから、「教育の目的を達成するために必要な手段」としての知識(学問)という位置づけだ.

つまり、教育が成功したかどうかの判定は、「教育を受けて・・・

1.   真理と正義を愛していますか、(「ウソはダメですよ」ということ)

2.   個人の価値を尊ぶことができますか?(成績の悪い人もあなたより価値がありますよ)

3.   勤労と責任を重んじていますか?(ニートはダメですよ)

4.   自主的精神に充ちていますか?(家畜ではダメですよ)

5.   心身ともに健康ですか?(病気にならないように)

と問いかけるべきだろう.

その点で、私は「日本人の成績が落ちたので、ゆとりの教育は失敗だった」というのは教育基本法を無視している議論と考えている.

確かに教育現場にいて「ゆとりの教育」を受けた学生の学習態度はいただけない.学力がないのは良いとして、なにしろ真理も正義も、個人の価値も、責任もなにもない。

授業中にブラブラと教室内を歩き回るので、理由を聞くと「どうして悪いのか?」と答える.「ゆとりの教育」ではなく「教育を受けていない」ということだ。

これは、「ゆとりの教育」が悪いのではなく、「ゆとりの教育」のやり方が悪かったことを示している。.

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ところで、教育基本法は「学力に重きを置かない」ということと、「人と比較しない」というのを暗黙の柱にしている.

ところが、他人と比較しないということは、共通の基準を設けないで成績をつけないのだから、どんな教育手段で上の1から5までを身につけさすのか、それが分からないまま「ゆとりの教育」を始めたからだ.

なぜ、こんなムチャクチャなことをしたのか?

その遠因は、文部省と日教組を中心とした「今までの教育議論不足」にあるけれど、日本でほとんど誰もが「他人と比較しないで教育する」という方法を編み出していないことによる。

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学校というところは、教育基本法でも明記してあるように「学問」を通じて教育するところであり、「体験」で教えるところではない.

だから、最初に書いた5つの教育内容は「座学」で教えるのが基本である.

また、学問としては、生徒に5つの内容を教えるレベルにはある。自然や人間をよく理解すれば、自然に5つのことが分かるからであり、それが「体験によらず学問によって体験と同様の力を得る」という教育の確信である。

ところが、現在の日本人の大人、そして社会があまりにこの5つと違う。それが私の活動であるが、「ウソあり、人によって価値をつけ、ニートを礼賛し、国民を家畜化し、鬱と自殺が増えている」という状態だ.

そうなると小学校の時は良いだろうけれど、中学校以上ではあまりに学校で教えられていることと社会との矛盾を感じるだろうし、先生自体が社会に流される.

「教育目標は国家の目標の具現化だ」という点では、教育をよくするまず第一の方法は「日本社会はどうするのか」をハッキリさせるということになる.

私は・・・(個人の意見だが)・・・

1)   家族が社会と人生の基本だから、家族を大切にする、

2)   子供を育てることは親の第一の任務だから、子育てを重視する、

3)   誠(真理、正義、自主的)と恩(他人の価値、勤労、責任)、

4)   国と国土を愛する、

をまずは日本の中心に据えるべきと思う.

でも、教育という点では1)と2)はまだ日本社会がその方向を向いていないので、個人の意見は差し控えるべきと思うので、3)と、平成18年の改正で決まった4)を教えるのが適当と思う.

そうなると、「数学の解き方」などあまり社会にでて使わず、誠と恩を勉強するにもあまり役立たないものをどのように取り扱わなければならないかという問題がある。

これについてはまた続いて検討してみたいと思う.

(平成22729日 執筆)